ーーそして浦和レッズと契約してプロになるわけですが、その時はどんな心境だったのでしょうか?

 プロになった時は本当にうれしかったですね。小さい時からの夢を叶えられた瞬間でしたし。浦和レッズからオファーが来るなんてことは考えられなかったですし、自分にそんなことが起こるなんて思ってもいませんでした。天にも昇るような気持ちでした。

ーーただ浦和では試合に出場することができず大宮アルディージャに移籍したことで多くの試合に出場することになったわけですが、ご自身の中で何か変わったことなどはあったのでしょうか?

 浦和では3年半在籍して試合に出られなかったんですけれども、試合に出場していた選手と比較して、「なんとかしたら自分の方が上回れるんじゃないか」とか「なんでこの壁を越えられないんだろう?」ということをずっと考えていたんですけれども、結局試合に出ることができず。

 3年半の間でいろいろなことを試したんですけれども、花開くことはなかったんです。その3年半は、ライバルの選手と自分を比較して劣っている部分をレベルアップしようとしていたんですけれども、ふと「自分の良さって何だろう?」とか「自分がやりたいことって何だろう?」ということを意識するようになっていったんです。大きく変わったことといえばその部分だと思います。ライバルと自分を比べても上手くいかなかったので、比較することよりも、自分の価値観や自分の在り方というものを追求するようになっていきました。

 大宮のレベルがどうこうということではなくて、大宮に移籍するまでに精神的にも肉体的にもいろいろなことを試して、準備が整った状態だったのかなということだったと思います。

ーーいろいろなことを試して、というと何か大学時代に通ずる部分がありますね?

 そうですね。自分ってどういう人間なんだろうと考えた時に今までやってきたこと、今やっていることにも通じますけれども、「自分とは何者か?」とか「自分の在り方」みたいなことをずっと考えていましたね。それはやっぱり自分という人間がとんとん拍子で物事が進んでいくような人生ではなかったので。浪人したこともそうですし、プロに入って3年半も試合に出られなかったですし。でもそんな中でも自分を革新していく、新しくしていくということをやり続けた結果だったと思いますね。

 次回#3では指導者として感じた難しさや、日本とアメリカのサッカー環境の違いなどについての話を紹介する。