――実際にG大阪ジュニアユースでプレーするようになっていかがでしたか?
 実際レベルがものすごく高かったですし練習も厳しかったです。特に走りのトレーニングがある日は練習に行きたくなかったですね(笑)。グランド1周を1分10秒以内×10周走る。それを2セット。みんなで一緒に走って、誰か一人でもその記録内に走りきれなかったら、1周プラスされたりして。きつかったです…(笑)

 トップチームに昇格してボランチにコンバートしたのですが、2年目の夏頃まではなかなか試合に出場することができませんでした。アカデミー時代は試合に出られない経験をしたことがなかったので、凄く悔しかったです。まさに逆境というか…同じポジションには、遠藤保仁選手、今野泰幸選手、当時は明神智和選手と…そうそうたるメンバーがいて。ただ、そういった日本代表レベルの選手たちと一緒にプレーし、それぞれの異なる良さを吸収することが出来ました。遠藤選手からは“止めて蹴る”今野選手からはボールを奪う時の速さ、明神選手からは危機察知能力等…「早く試合に出て見返したい」という思いで、諸先輩方のプレーを盗み毎日の練習に取り組んでいましたね。

――6月7日のシリア戦でA代表デビューしたね。
 代表としての責任というか、みんなの期待感をひしひしと感じました。世代別代表やリオ五輪代表も経験したけれど、日本代表の重みとはまったく異なるものでしたね。何においてもまさに別世界。トップチームに昇格したばかりの頃のように、プレーや判断のスピード等、レベルの差を突き付けられたような気がしましたね。

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