新潟明訓(写真=新潟明訓)

ーープロコーチよりも教師として。

 学校の現場に身を置くことで、徐々に教師に憧れを持つようになりました。将来的には監督になりたいという夢を持っていましたし、プロのコーチとしてというよりは学校の先生として、学校生活を通じて教育をしながらサッカーも、という思いがありました。26歳から大学に通ったので、周りの現役で入った18歳の学生からしたらかなり浮いてたと思いますが…、教授や先生方が温かく接してくれたので楽しく学べましたし、インターハイで全国へ出たタイミングでテストが重なった時は、教授に直談判して大学に許可を取りインターハイに帯同させて頂くなど、自分の仕事を大学側が尊重してくださり今でも大変感謝しています。もちろんインターハイから帰って来た後は、研究室に缶詰で大量のテストが待っていた事は言うまでもありません(笑)。

ーー苦労も経てここからが本当のスタート。

 学生として新潟の地で暮らしていくなかで、どんどん新潟を好きになりました。関わってくださった方々のおかげで今の自分があると思いますし、東京から来た自分をすごく可愛がってくれました。その方々に恩返しをしなければいけない。それは今与えられたポジションで結果を出すことだと思います。家も建てたので、新潟に骨を埋める覚悟です。

ーー次回、昨シーズンの戦いを振り返って頂く。

 

(取材=編集部)