アメリカの大学は設備や環境などに優れている点も特徴です。さらに「スカラーシップ」といういわゆる奨学金制度があり、優秀な選手にはこれが返済不要で利用できる仕組みになっているのも大きな特徴と言えます。日本で言うスポーツ推薦の特待生というイメージがしっくりくると思いますね。

 アメリカの大学では各クラブに学校から予算が割り当てられていて、監督はその予算を自分なりに配分してチームを強化していく。つまり、どの選手を奨学金の対象にするかという権限もチームの監督が握っているわけです。監督によっては少額を多くの人数に分配する人もいれば、「9人だけフル特待で取るけれども、それ以外は満額自己負担で来い」と言うような人もいます。そこで選手側に立って、その交渉をしてあげることも、僕の仕事の1つです。

 アメリカと日本のクラブには大きな違いがあって、それは部員数なんです。日本では100人近い部員数を誇る大学も多いですが、アメリカは少数精鋭。1チーム全学年で25~30人くらいなんです。1学年で6、7人。日本で言うとAチームだけという感覚です。Jユースっぽいイメージですかね。でもアメリカのカレッジスポーツって大体がそういう感じなんです。だから体育会系のクラブに所属しているだけで「お前凄いね!」とか「選ばれた人間なんだね」と周りの人からリスペクトされるんですね。

海外留学時代の中村さん(写真提供=株式会社WithYou)

 そういった背景がある中で、「ウチの選手はこれだけいい選手なんだよ」ということを大学側に売り込んで、できるだけいい条件のスカラーシップを選手に付けてあげるというのが仕事ですね。大学バージョンの代理人といったイメージだとわかりやすいでしょうか。25~30人という限られた枠がある中で、ウチが支援をした選手をチョイスしてもらう。そこに我々の存在価値があるのかなと思っています。

 じつは最近、我々がサポートしている高校2年生の子が、アメリカでもっとも歴史のある超名門校・ハーバード大学に入学内定を決めているんです。もちろん彼自身の頑張りが内定を掴んだいちばんの要因だと思うんですけれども、我々が地道に築いていったコネクションを活かすことができたのかなと思うと、本当にうれしいですね。

――そもそも中村さんがサッカーを始めたきっかけを教えていただけますでしょうか?

 3歳の時に父の勧めもあって、地元では有名な神戸FCというチームに入ったんです。ただ自分自身はあまりやる気もなくて、周りにはやる気にあふれた子ばかりの中、お団子作りとかやっていて(笑)。それほどサッカーが好きではなくて、積極的にやっていた感じではなかったですね。

――そんな中でサッカーを続けてこられた要因は何だったのでしょうか?

 神戸FCは本当に歴史も伝統もある凄いサッカースクールなんですけれども、家からは遠かったんです。だから近くの友達とかがいなくて。それで小学校2年生の時に、地元の小学校のクラブチームに移籍したんです。そこには普段からよく遊んでいる友達もたくさんいて、そこでサッカーが楽しくなっていったんです。「サッカーが好き」というより「友達と遊ぶことが好き」で、遊んでいるうちにサッカーが好きになっていったという感じですね。

――どんどんサッカーが楽しくなっていく中で、中学の時にはブラジルへサッカー留学をされたそうですが?

 そうなんです。そこは親も協力的だったんですけれども、自分の中で中学生くらいになると、何となく現実も見えてくるじゃないですか。「将来どうしよう?」と考えた中で出した答えは「サッカー選手になりたい」というものでした。その引き金としては自分が小学校3、4年生くらいにJリーグが創設されて、あのキラキラした中で始まった開幕ゲームも見ていて、「カッコいい」と思ったことなんです。

 中学生になってもそういう思いは持っていて、そんな時に父親が「本当にやりたいんだったら一度機会を与えてやるから行ってこい」とサッカー留学を提案してくれて。ただ自分の中では海外留学、ましてや「ブラジルに行く」なんて考えは非現実的過ぎて全然無かったんですけれども無理矢理サッカー留学させられて(笑)。ただそういう選択肢を目の前に置かれたことで、手に入れることができたというのは大きかったですね。

――ちなみに期間はどれくらいだったんですか?

 夏休みを利用して企画されたもので、確か1か月とか2か月くらいでしたかね。その留学中に催された最後のイベントというのが、リオデジャネイロ州の選抜チーム対留学生チームの試合だったんです。その試合でハットトリックを決めて。ちなみに参加したのは「ジーコサッカースクール」の海外留学だったので、おそらく片隅でジーコも見ていたと思うんですけれども、その活躍ぶりを見た関係者から「このままちょっと残ってやっていってもいいよ」と言われて。結局半年くらい居たんですかね。

日本と海外を飛び回る多忙な日々を送る中村さん(写真提供=株式会社WithYou)

 周りには上手い選手だらけの中でサッカーをやっていて。選手というか、もうブラジルでは老若男女、小さい子とおじいさんが一緒になって、女性も男性も関係なくボールを蹴っていて、しかもみんな上手いんです! 日本ではちゃんとした練習以外で、男性と女性が一緒にサッカーするとか、子供と大人がサッカーをするなんて、ほとんど見かけないじゃないですか。ブラジルでは本当にサッカーが生活の一部なんだなと思いましたね。

――そのサッカー留学で得たのはどんなものだったのでしょうか?

 もう見るもの全てが新鮮で。中学生の感受性なんてものすごいですから。サッカー面だけではなく、生活している中の全てが新鮮に感じられましたね。グラウンドに向かうバスの中で見た情景、誰もがボールを蹴っているシーン、生活の中に当たり前のようにサッカーがあるという環境、自由なフットボールライフが刺激的で。圧倒的な本場を経験できたことが何より大きかったですね。そういう環境を経験したこともあったから、日本に帰っても強い高校でサッカーをやりたいと思って、滝川第二に行くことにしたんです。

――その若くして海外留学をした経験が現在の仕事にも結びついている感じなのでしょうか?

 まさにその通りです。サッカー人生を終えた、新たなチャレンジを考えた時に、なんで「海外留学」というワードが出てきたかというと、やっぱり若き日のキラキラした情景、イメージが残っていて。だからこそ30歳近い、いい大人が「日本を飛び出そう!」という決心に至ったんだと思いますね。中学の時にブラジルに行っていなかったら、今の自分はないでしょう。

 次回では中村さんの高校時代やプロでの生活などについての話を紹介する。