――まずは桐生第一を決めた経緯を教えてください。

 はじめは県外のクラブユースから声はかかり、練習参加をしましたが、高校サッカーがしたくて、進路先を県外の高校や前橋育英も考えていました。最終的に桐生第一に決めたのは、兄が桐生第一でサッカーしていたこと。自宅から学校まで近かったこと。小さいころ、前橋育英と桐生第一、どちらかを応援すると言えば、桐生第一を応援していたこと。中学のとき、桐生第一の下部組織にいたこともあって、自然な成り行きでした。

――桐生第一で1年からトップチームでプレーしていたそうですが、強豪校ですから、なかなかないことですよね。

 そんなすごくはないと思いますよ。トップチームにあがったのは1年の春でした。当時、高校総体ではBチームのメンバーで出場していました。Bチームにはトップチームでベンチ入り選手も多くいました。そのなか、結果を残せて、途中出場を経験して、スタメンで試合に出してもらえるようになりました。実際、「このプレーだったら」「この出来だったら」という手ごたえをつかめました。もともとトップチームでプレーできる自信はありましたし、そのあとのリーグ戦でもトップチームで出場できました。

――その後は順調でしたか。

 当時、同じポジションに3年生の田中渉選手(※モンテディオ山形→24年鹿児島ユナイテッドに期限付き移籍中)がいました。同じチームなのでライバルですが、田中選手からプレーを盗んだり、参考していました。1年のときはチームのフォーメーションややり方の変更があって、高校選手権の決勝には出られませんでしたが、試合で先輩から「好きにやっていいよ」と声をかけてくれて、思い切ったプレーができました。

――高校時代、対戦して『この選手、すごいな』『勝てないな』と思った選手は覚えていますか。

 衝撃だったのは、1年のときに対戦した東京ヴェルディの森田晃樹選手です。ヤバかったです。テクニックが努力ではどうにもならないなと。自分は努力するほうでしたし、周りにもうまい選手はたくさんいました。でも、『努力であそこまでうまくなれるの?』『どうやったらうまくなれるのか』そう聞いてみたいです。森田選手は当時3年生という年齢差もあったかもしれませんが、同じポジションでしたし、似たようなプレースタイルだったので参考にしたいなと思うと同時に次元が違うというか…ホントにすごかったですね。

(文・写真=佐藤亮太)