川崎フロンターレ内定の永長鷹虎の父、永長徹さん
12月15日、興國がサッカー部所属の4名とセレッソ大阪U-18所属1名の入団内定者合同記者会見を実施。会見を見守っていた永長鷹虎の父、永長徹さんに会見後お話を伺った。
記者会見で内野智章監督から「(永長の)お父さんは60歳で50m7秒0で走るので、高2の時に競争していたらお父さんに負けていたんじゃないか」と話題に上がった徹さん。今でもラグビーをやっているという事もあって体付きもガッチリしている。
徹さんにプロ入りが決まった際の話を聞くと、「4月ぐらいのプリンス三田学園戦の時に内野監督と試合前に駐車場で会って、『鷹虎の進路で悩んでるんです。適当な大学もないし、プロから声は掛かってるんですけどどうなるかわからないし』と相談されて、"うわー困ったなー"って思っていたんです。そしたらその後ちゃんと何チームからか声が掛かって、プロ入りが決まって、ほんまに夢がかなって良かったなと思いました」と当時を振り返った。
「3年に上がった時にはまだサブだったのでね。2年生の10月ぐらいに"これはレギュラーも危ない"と思っていました。兵庫県から通っていたので、朝7時の朝練に間に合わせないといけないとなると5時半に家を出ないといけないんです。それで帰ってくるのが11時ぐらいなんで、寝る時間も少ないし。朝飯もちゃんと食べないで行くんで、僕が5時に起きてご飯を作って、『取り合えず飯を食って行け!』って言って食べさせて、それを半年ぐらい続けたんです」
「そしたら静学との試合の時に"あれ?ちょっと(足が)速くなってるな"ってなったんですよね。小さい頃から試合を観ていたんでわかるんですよね。それで神村学園戦でひ弱さが消えてきて、"当たり負けしなくなった"と思ったんですよ。前はちょっと押されただけでコケていたんで。それで"凄い成長しているな"って。もともとワクワクするようなプレーはしていたんですけど、それにひ弱さが消えたので"ひょっとしたら(プロに)行けるかな?"って思いました」と、徹さんも朝ご飯を作り親子で努力を続けた結果、この一年で飛躍的に成長したと明かした。
その息子の成長する姿に「小学校の頃も圧倒的な技術で、観ていても"凄いなー"って思っていたんです。でも高校に入ったらフィジカルが全然違うんで、それでも技術でなんとかカバーしていたんですけど。中学の時は抜いても抜いても追い付かれてしまっていたんですけど、今は抜いても追い付かれないので、親ながら"なかなかやなー"と思っていますね(笑)」と感心した徹さん。
この一年で足が急激に速くなったのは血筋かと聞くと、「足は鍛えれば速くなるんでね。僕も大学の時に100m12秒フラットぐらいだったので、そんなに言うほど速くなかったんですよ。今でもラグビーをしているんですけど、鍛えれば鍛えるほど速くなるんです。昔はどうやって鍛えれば足が速くなるのか、そこに科学的なことが何もなかったんです。今はもうどこの筋肉が足りないとか、ここの筋肉を鍛えれば速くなるとか、そういう事がわかるんで、そこをやればもっと速くなりますよ。そこら辺はちゃんとトレーナーが教えてくれていますよね」とスポーツマンらしく分析した。
進路を興國を選んだ時には「何も言っていないです。中2の時に内野監督から水曜日に来てもらっていいと言ってもらえて、毎週水曜日に連れて来ていたんです。家から遠いんですけど、毎週水曜日に連れてきて、練習を見て、連れて帰ってを2年間やりました。もうここに来るのは必然でしたね(笑)。他からも誘いはなかったと思います。もう決まっていたので。ここ以外の選択肢はなかったです」と進路で迷う事もなかったと話した。
自身はラグビーをやっているが、息子たちはサッカーを選んだ。「ラグビーはキツイ怪我が多いんでね。サッカーは骨折で済みますけど、首をやってしまうと怖いんでね。僕も高校までは野球をやっていて、大学でラグビーをはじめて。もう筋肉が付いた状態ではじめたので。だから僕的にはラグビーをして欲しかったけど、反面首の筋肉が出来ていないのにラグビーをやっても怪我が怖かったんですよね。まあ好きなサッカーで良かったかなと思います。でも4人おるんで一人ぐらいはラグビーをして欲しかったですよね(笑)。全部サッカーですよ(笑)」と4人の息子全員がサッカーを選んだことに複雑な表情を見せながらも、怪我を心配する親心もあり、サッカーで良かったと振り返った。
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