日本代表のDF山根視来は地道な努力を続け、チャンスをモノにした(写真=多田哲平)
日本代表は3月25日のオーストラリア戦に勝利し、カタールへの切符を手にした。
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三笘薫の2ゴールは衝撃的だったが、その値千金の先制点をアシストしたのが山根視来だった。山根もまた勝利の立役者のひとりである。
「あそこ(ワールドカップ出場)に貢献できたことはすごく嬉しいことですけど、もう1試合あるし、次はメンバーに選ばれることが目標になってくるので、次の準備に向かっています」
殊勲の右SBはそう喜びと次への抱負を語る。
山根は茨城県のウィザス高(現・第一学院)出身。小・中学生時代は東京ヴェルディのアカデミーで育ったが、ユースには昇格できず、高体連への進学を選んだ。高校生当時は全国的には無名で、世代別の代表にも選ばれなかった。
しかし桐蔭横浜大で全日本大学選抜に選ばれるなど台頭。大学4年次の天皇杯2回戦の湘南ベルマーレ戦で1ゴールを決めたのをきっかけに湘南の練習に参加するようになり、16年に晴れてプロ入りする。
プロ2年目、当時湘南を率いていた曺貴裁監督に3バックの右に抜擢されると、もともとサイドアタッカーを務めていたその攻撃性を発揮し、J1の舞台でも頭角を現していく。
日本代表に初選出されたのは21年3月だった。20年に籍を移した川崎で右SBとしてJ1リーグ制覇に貢献し、リーグのベストイレブンに選ばれた活躍が日本代表の森保一監督の目に留まったのだ。
代表では、3月25日に行われた韓国戦でデビューし、いきなり初ゴールを奪うと、21年は6試合に出場。常連メンバーとなっていった。
21年シーズンのJリーグでは川崎のJ1連覇に尽力し、2年連続でベストイレブンに選出。そして、この3月、ワールドカップアジア最終予選のラスト2試合を戦うメンバーにも選ばれ、オーストラリアとの大一番で重要な仕事をやってのけた。
右SBでは1番手と目された酒井宏樹がケガで不参加だった事態があったとはいえ、「いつももちろん出るつもりで準備している」という真摯な姿勢がこの活躍につながったのは間違いない。さらに「前回ベトナムとオマーン戦で出た時にもっとこうしたほうが良かったかなという反省点があったので、この試合(オーストラリア戦)は強みを出すところ、ペナルティエリアに入っていく回数は意識してやっていました」という強い向上心があったからこそ、巡ってきたチャンスをモノにできたのだろう。
これまでのキャリアを振り返ってもそうだったはずだ。
「正直、育成年代に代表のユニホームを着たことがなかったので、なかなか自分がこの場に立っているのはリアルに想像するのは難しかったです。数年前までそんな感じでした。でも今ではこういう立場にいる。何があるか本当に分からないし、チャンスがあるので、ちゃんと自分の力で掴みにいきたいなと思います」
無名の高校時代からワールドカップ出場権獲得の立役者になるまでの過程は、地道な努力の連続だったのである。