高岡怜颯(写真=松尾祐希)

 一方、高岡は中学時代まで実績がほとんどなく、宮崎県の三股町立三股中サッカー部の一員として県大会に出場しただけ。本格的に結果を残し始めたのは高校に進んでからだった。中学時代に日章学園中と対戦した縁で同校の高等部に進学し、1年次からトップチームで活躍。昨冬の選手権も経験したが、名和田のように目立った活躍ができたわけではない。だが、持ち前のスピードとハードワークを選手権などで評価され、2月の九州新人戦後に行われた3月のアルジェリア遠征で初めて日の丸が付いたユニホームに袖を通した。森山佳郎監督から認められ、6月のアジアカップにも参戦。スーパーサブとして重宝され、ワールドカップ行きが懸かった準々決勝で1ゴールを決めた。しかし、名和田のようにセンセーショナルな働きは見せられなかった。

 歩んできたキャリアも実績も異なる2人。今まで決して交わることがなかったが、今年の年の代表活動で彼らの人生が初めて交差した。そして、迎えたU-17ワールドカップ。グループステージでその立場がひっくり返る。

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