平成が間もなく終わろうとしている。高校サッカードットコムでは平成の30年間を振り返る。今回は日本がW杯初出場を決めた1997年(平成9年)。
金融機関の破綻が相次ぐ・・・W杯初出場がわずかに明るいニュース
この年は金融機関の破綻が相次いだ年だった。11月3日に三洋証券が倒れると、17日には都銀の北海道拓殖銀行が破綻。そして、24日には野村證券、大和證券、日興証券と並んで日本の4大証券の一角だった山一証券の自主廃業。山一証券自主廃業から30余年たった今でも、当時の野澤正平社長の涙ながらの記者会見は平成不況を象徴するシーンとして記憶に刻まれている。少年法改正論議が沸騰した当時14歳の中学生による連続殺傷事件「神戸連続児童殺傷事件」。2月から5月にかけて小学生5人が相次いで襲われ、2人が殺害された。暗いニュースが多かったこの年、サッカーのW杯の日本の初出場決定がわずかに明るいニュースだった。
東福岡、前人未到の3冠を達成
本山雅志、古賀誠史、金古聖司、千代反田充ら擁する1997年度の東福岡(福岡)は高校サッカーの歴史に燦然と輝く、前人未到の3冠を達成しその名を歴史に刻んだ。夏の全国総体では帝京に3-2で勝利。高体連の各地域王者とクラブユース勢が一堂に会する高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(※高円宮杯U-18サッカーリーグが後継大会)でも小野伸二主将擁する清水商(静岡)に3-2で逆転勝ちをおさめ大会を制した。そして本山、手島和希、古賀誠史のプロ行きが内定し迎えた1997年度第76回高校選手権。東福岡は決勝戦まで勝ち上がると中田浩二擁する帝京(帝京)相手に2-1の逆転勝ちで「雪の決勝」を制し、見事に史上初の3冠を達成した。