東海大福岡 平清孝総監督(写真=東海大福岡サッカー部提供)

 【第4回】 1981年度の全国高校選手権に初出場し90年度大会では4強入りを果たすなど、東海大福岡(旧・東海大五)を強豪校に押上げ、多くの選手を育ててきた平清孝総監督。この3月末で勇退するその平総監督にサッカーとの出会いから指導者としての歩みなど様々なお話を伺った。

ーー松澤先生や小嶺先生の話も出ましたが、お二人とはライバル関係だったのでしょうか?

 僕は10歳下なので、ライバル関係という訳ではなかったです。松澤先生の凄いところは僕らの意見を「そうかそうか」と言って聞き入れてくれるんですよね。「それいいな!」と言って割り箸の袋に書いたりして、「これは持って帰ろう」って。小嶺先生もそうで、そういうお二人なんですよね。それでも試合になったら「嘘やろー!」って思う程ゴール前に放り込んで来るんですけどね(笑)。

ーー指導者として一番影響を受けた方はいますか?

 松澤先生ですね。サッカーだけじゃなくて人としてもですね。「自分だけが強くなればいい」っていうんではなくて、「みんなでレベルを上げよう」ってところがあって。そういう人間味のところが人としてもお手本でしたね。

 松澤先生が凄いなという事で言うと、一回僕が学校と上手くいかなくて行き詰った時に、辞める覚悟も決めて松澤先生に電話して、「会ってください!」って言ったら、松澤先生が「何があった?」と言うから、「行って話します!」と言ったら、松澤先生が「おう!すぐ来い!」と言ってくれたので、鹿児島まですっ飛んでいったら高速のインターの前で待っていてくれて、ホテルにチェックインして「飯食いに行くぞ!」と言ってくれたので小料理屋にご飯を食べに行ったんです。

 そしたら松澤先生が「ちょっと待っとけ!」と言うので「何かな?」と思っていたら、一人の先生が入ってきて今給黎(いまきいれ)先生という方を紹介されて、「この先生は弓道で日本一になった先生で、どこに行っても日本一にしている。素人を集めて、それも公立でだぞ。朝4時に起きて5時から練習して日本一になっているんだ!」と松澤先生が言うんですよ。そこから色々なお話を聞かせて頂いて、その先生は「帰って子供たちに明日の事を書かないといけないので」と2時間もせずに帰られて。そしたら松澤先生が「ところで平、話ってなんだ?」と言うんです。僕は「話すことはありません」と(笑)。

 僕はまだ何も言っていないのに松澤先生はお見通しで、「どうせそういう事だろ?ああいう先生もいるんだから。学校の協力がなくても日本一を目指して自分でコツコツやって。それでいいんじゃないのか?がんばれ!」と言ってくれて、僕は「はい!」と言うしかなかったです(笑)。その時は20代後半で、自分では頑張っているつもりで。僕の「もっとやらせて欲しい」と学校の方針が噛み合わなかったんですよね。

 でもそういうお話を聞かせてもらって、「明日は早く帰って練習に出ろ!」って松澤先生に言われて、「やるしかない!環境は自分で作り出さないといけないんだ」と思うようになれましたよね。「福岡の若造が迷い込んでるから話をしてくれ」ってことで今給黎先生も呼ばれて来てくれて話をしてくれたんだと思います(笑)。

ーー平先生がサッカーの面で一番大事にしていることは何ですか?

 今でも基本を大事にしているんですけど、42歳で厄年の時にみんなに反対されながらもイタリアのヴェローナに3カ月間留学に行ったんですよね。本当に苦労したんですけど、何を持ち帰ってきたかと言ったら、”基本の大事さ”なんですよね。全てをひっくるめていかに基本を大事にできているか。

 セリエAの選手が練習でインサイドパスに時間をかけていたんですよね。その時は「おれは何をしに来たんだ?こんなの見に来たんじゃないぞ!」と思ったんですけど、「これなんだ!」と気付いて。ミスをしないから球拾いがいらないんですよ。最初は面白くなかったんですが、浮かせてもインサイドで落ちないし。

 これだけ基本が出来て、その後にコンビネーションをやったりしていて「ここまでやらないとダメなんだ」と衝撃を受けました。みんな話しながらなんですけど、いとも簡単にそれをやっていて、ミスもなくて。「これは凄い!」と勉強になりましたね。

【次のページ】 ”蹴れない止めれない”では生き残れない…