桐蔭横浜大学サッカー部 安武亨監督(写真=風間久志)
日本の大学サッカーシーンにおいてトップレベルに位置する関東大学サッカーリーグ戦1部。その中でも、近年メキメキと頭角をあらわしているのが桐蔭横浜大学だ。日本サッカー界のレジェンドである風間八宏氏を招聘し、本格的な活動を開始したのが1998年。2013年には関東大学サッカーリーグ戦1部に昇格。以後2017年、2018年と全日本大学サッカー新人戦を連覇。2019年はリーグ戦1部、全日本大学サッカー選手権で、ともに準優勝するなど、関係者やサッカーファンから大きな注目を集めている存在だ。そんな桐蔭横浜大学サッカー部について、現監督である安武亨氏にインタビューを敢行した。
ーーまず安武監督の経歴を教えていただけますでしょうか?
サッカーを始めたのは小学校の頃ですね。兄がサッカーをやっていたので、それについて行っているうちに始めたというのがきっかけです。よく町の公園とかでやっていました。中学になるとサッカー部に入部したんですけど、そのサッカー部自体があまり練習をしなかったんです。先生もそれほど指導に顔を出していなくて。生徒だけで練習していると、あまり真面目にやらなくて、つい遊んでしまうんですよね。で、試合になると、ろくに練習もしていないのでやっぱり負けるんです。そして選手たちは悔しくて泣いていると。私から言わせると「真面目に練習をしないのに負けるのは当たり前」だろうと。そういうこともあり、違う環境を求めて、友だちに誘われて地元の福岡で活動している「わかばFC」というサッカークラブに入ったんです。
ーそのチームはけっこう強かったんですか?
当時は九州でも1、2を争うほど強かったクラブチームでした。周りもやはり上手い子が多くて、私は元々Bチームでした。半年に1回セレクションみたいなものがあって、そのセレクションでAチームに上がって。でも、わかばFCにいたのは結局1年くらいでしたね。その後、わかばFCで一緒にプレーをしていたチームメイトが、サンフレッチェ広島ユースのセレクションを受けに行くということを知り、「俺も連れてってよ!」という感じでセレクションに一緒に行ったんです。当時セレクションには300人くらい来ていて、受かったのは2~3人だったと思います。まぁ運が良かったんですね。
ーープロになりたいからセレクションを受けた訳ではないんですね?
当時は自分がプロになれるなんて思ってもいなかったですね。その頃はまだアビスパ福岡もなかったですし、おそらくチームメイトがセレクションを受けると言っていなかったら、当然私もセレクションを受けに行っていませんでしたし、プロのことは考えていませんでしたね。ユースに行っても高校2年の後半までBチームでした。3年になってやっと試合に出してもらえるようになって、中心選手と呼べるくらいの力が付いた感じですね。ユース時代はチームの中でも足はトップクラスに速かったですし身体能力は高かったと思います。サッカーにおいては足の速い選手って魅力じゃないですか。どんな世界でも、一芸ある人というのは魅力的ですよね。それは監督になった今でも強く感じます。足が速いとか身体が大きいとか、何か武器を持っていることって重要だと思いますよね。