モンテディオ山形に加入が内定した興國FW荒川永遠

 日本代表・古橋亨梧(セルティックFC)やU-20日本代表候補・樺山諒乃介(横浜F・マリノスからモンテディオ山形に育成型期限付き移籍中)など近年数々のJリーガーを輩出し注目を集める興國(大阪)。J1川崎Fに加入が内定したFW永長鷹虎に続き8月31日、FW荒川永遠がJ2モンテディオ山形に来期の加入内定が決定したとクラブから発表された。3年生になってもスタメンを掴めずにいた荒川だが、努力を続けインターハイ大阪予選で結果を残すとプリンスリーグ関西でも活躍。練習参加でも結果を残し、モンテディオ山形からのオファーを勝ち取った。見事に高卒プロ入りを決めたその荒川に今の心境などの話を聞いた。

ーーまずプロ入りが決まって心境の方はいかがですか?

 決まって自分が一番驚いています。あまりまだ実感がわかないですが、嬉しいですしその分「結果を残さないとあかんな」というのを強く思います。

ーーどういうところが認められたんだと思いますか?

 僕は勤勉にポジションを取ったり、自分だけじゃなく人を活かしたり、最終的にはゴール。向こうの練習でも(ゴールを)奪えたのでそこは評価してもらえたのかなと思います。

ーー高卒プロ入りはずっと意識していたんですか?

 意識はしとったんですけど最初は大学に決めとって、夏ぐらいまではずっと(試合に)出れなくて、ここ最近出れるようになってからチャンスを掴めたって感じです。

ーーでは一度は高卒プロ入りは諦めて大学に決めていたって事ですか?

 最近までは大学って決めていたんですけど、山形さんに声をかけてもらって一気に人生が変わりました(笑)。

ーーやっぱり諦めないで練習してきて試合も出れるようになったと思うんですが、ずっと意識を高く保てていたんですね?

 はい、「大学で絶対プロになってやる」って思っていたんで、その分試合に出れていなくても練習してその結果が今に繋がったのかなと思います。

ーーインターハイ大阪予選は試合に出ていましたよね?

インハイは出ていたんですけど、セレッソから移籍してきた子がインハイは出れなくて、それの穴埋めで出れていたので、インターハイが終わった後の1.2節はプリンスもスタメンじゃなくて。初芝橋本戦でチャンスを掴んでそこからですね。

ーー自分ではどういうところに気を付けて練習してきたんですか?

 自分は前の選手なんで、シュート練習はめっちゃしてて、あとは試合に出てる子のプレーをみてどうやったらいいのかを常にみんなのプレーを研究していました。

ーーその努力が報われましたね?

 ほんまに決まって嬉しいです!それだけです(笑)。

ーー最初に報告したのはご両親ですか?

 最初は親ではなくて樺くん(樺山諒乃介)にいいました(笑)。樺くんは向こうで(モンテディオ山形での練習参加の際)仲良くしてくれて、アドバイスもめっちゃくれとって、「絶対(プロに)なれよ!」と言われていたので一番最初に樺くんに連絡しました。その後親に言いました。

ーーご両親は喜んでましたか?

 「まじか!びっくりするわ!まさかやな」って喜んでました(笑)。親も喜んでたんですけど、おじいちゃんとおばあちゃんがめっちゃ喜んでくれていて、「ほんまにがんばりや!」って言われました。

ーーご両親は練習参加した事は知っていたんですよね?

 はい、それは知っていました。練習参加した後に向こうの強化部長に「引き続き見ていきたい」と言われて、自分も興國に戻って頑張ろうと思っていたんですけど、次の日大阪に帰ったら監督からみんなの前で「決まったよ!」って言われて、「まじか!」って鳥肌が止まらなかったです。ほんまにやばかったです。

ーー人生で一番の衝撃ですね?

 ほんまにやばかったです。その時は状況を把握できなくて「まさか自分が」っていうのが一番でした。

ーーでも手応えはあったんじゃないですか?

 そうですね、手応えはありました。

モンテディオ山形に加入が内定した興國FW荒川永遠

ーーサッカーを始めたきっかけは?

 僕入れて3人兄弟なんですけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいてお兄ちゃんがサッカーをやっていてそれがきっかけで始めました。小っちゃい頃にお兄ちゃんがやっているのをよく見に行っていて、取り合えず体験で同じチームに入ってみてって感じです。

ーーご両親にこれまで色んな協力をしてもらってきたと思うんですが、そこはどうですか?

 一番は、自分は大阪なんですけど、中学校の頃にセレッソ和歌山(セレッソ大阪和歌山U-15)に通わせてもらっていて、片道約2時間ぐらいで交通費がめっちゃかかって。公式戦は絶対和歌山なんで、車で送ってくれたり、電車でもお金がめっちゃかかったんで、その3年間があったのでめっちゃ感謝しています。

ーーそれは喜んでくれますね?

 そうですね。僕は中学の時もあまり高校からオファーが来ていなくて、たまたまセレッソ和歌山でコーチをしていた中山昇コーチが興國を薦めてくれて、プレーをみてもらえて決まったんです。

ーー興國に入って一番伸びたのはどこですか?

 技術もそうなんですけど、一番はサッカー理解ですね。戦術のことだったり。中学の頃はがむしゃらに走って追いかけてゴールに向かうって感じだったんですけど、興國に入って立ち位置だったり、ここに立つから味方が空くとか、自分が走るから味方が空くとか、そういう戦術理解が一番伸びたと思います。

ーーポジションはずっとFWですか?

 中学の1.2年の時はボランチで三年で右サイドハーフになって、高校でも右サイドハーフでした。FWはここ最近ゼロトップになってからですね。

ーーボランチの時と今では全然プレーが違いますよね?

 ボランチをやっていた時は潰すだけだったので、特に足元があるわけでもなくめっちゃ潰すプレーでした。

ーーでも球際の強さとかでそこは活きていますよね?

 だいぶ活きていると思います。運動量も自分の持ち味だと思っているのでそこは中学の頃にボランチをやっていたのが活きていると思います。

ーー先に永長くんがプロ入りを決めましたがその時はどう思いましたか?

 率直に凄いなと思ったのと、あとは「いいなー」って思いました。自分はもう大学だったので。でも自分は「大学で絶対プロになってやる」って気持ちが強かったです。

ーー樺山くんの影響はありましたか?

 樺くんは見ている時もプレーは凄いんですけど、一緒にやるともっと凄いんです。それは樺くんが指示してくれたとこに行ったら大体ボールが受けれたり、樺くんが走れって言ったら本当にボールが出てきたり。そういのは一緒にやっていて凄いなと思っていたんですけど、山形でもそういうところでアドバイスをめっちゃくれて、自分も伸び伸びプレーできたし、選手ともいっぱいコミュニケーションを取れました。

ーー樺山くんと同じステージに行きますが、追い付かないといけないですね?

 そうですね、でもまずは得点を取ってチームを勝たせないといけないなと思っています。

(文・写真=会田健司)