浦和市立元監督・磯貝純一氏(左端)、現・市立浦和大野監督(左から2番目)(写真=河野正)
全国高校サッカー選手権出場は、武南と同数の最多14度で、優勝回数も埼玉県勢として最も多い4度を数える。そんな古豪の浦和市立高(現・市立浦和)サッカー部を率いた磯貝純一先生が、昨年9月9日に亡くなった。83歳だった。
市立浦和高サッカー部は、1946年(昭和21年)に永田養三監督が立ち上げた。52年からは、東京大学の最強時代に活躍した鈴木駿一郎監督が指揮を執り、オープン攻撃(現在のサイドアタック)を採用。12年間指導し、全国高校選手権と国民体育大会を2度ずつ制し、全国に浦和市立の名を知らしめた。
日本代表では主将も務め、国際Aマッチ63試合に出場。日本リーグで260試合連続出場という大記録を達成した落合弘氏は、鈴木監督の薫陶を受けたひとりである。