浦和南の野崎正治監督(写真=河野正)
埼玉・浦和南高校サッカー部の野崎正治監督は、この4月で教員生活42年目を迎えた。初任地の母校・浦和南で7年勤務した後、新興の浦和東に24年、再び浦和南に赴任して11年目となる。この間、全国大会には16度出場。埼玉県の高校教諭として、日本サッカー協会公認S級コーチライセンスを初めて取得し、多くのJリーガーを育てた腕利きの指導者である。
野崎監督は最後の関西地区開催となった第54回全国高校選手権、首都圏に移行した第55回大会で浦和南が連覇を遂げた時のMFだ。筑波大に進学すると1年生からレギュラーとなり、在学中に全日本大学選手権、全日本大学トーナメント、関東大学リーグのタイトルを獲得。日本代表Bにも選出され、三菱重工や古河電工、日立製作所など日本リーグの強豪6チームから勧誘された。
「随分迷って恩師にも相談した末、当時は埼玉教員クラブが日本リーグ2部に所属し、国体にも力を入れていたので教師の道を選びました」
1982年4月。思いもよらぬ母校への幸運な奉職に恵まれ、高校時代の恩師である名将・松本暁司監督の下で7年間、指導のイロハを習得。松本監督の展開を正しく読み取る目には常々感心したそうで、「なぜこの選手を使うのか、どうしてこの状況でつながず蹴らせるのか、と疑問に感じても最終的にはそれが正解だったんですよ」とうなった。
赴任1年目で全国高校選手権に7度目の出場を果たす。前回大会で日本一になった武南に予選決勝で3-0の快勝、松本監督から「おまえのおかげで勝てた」と選手時代を通じて初めて褒められたという。