スペイン挑戦について語る大久保碧人(写真=古部亮)

 「スペインに行ったのは僕が産まれて2、3か月だったので、記憶は全くないですが、ドイツの記憶は残っています」。

 産まれた直後に父親がRCDマヨルカに移籍したため幼少期をスペインで過ごし、ドイツでの生活も経験。父親の試合をよく観戦していたこともあり、小学校に上がり自然とサッカーを始めた。

 しかし、「自分にしかわからないと思いますけど、どうしても父と比べられるプレッシャーがあって、それが結構キツくてサッカーを好きじゃなくなっていました。弟たちは父のフロンターレ時代の記憶もないので、あまりプレッシャーを感じていないと思うんですよ。でも僕は知っているし、長男というのもあって、そこが違うのかなと思います。周りにそれを言ったことはないですが、それは凄く一人で抱えてやっていました。特に誰かに何かを言われた訳ではないんですけど、裏で色々言われてるんじゃないかと勝手に思ってしまっていた」中学校に上がり一度はサッカーから遠ざかる。

 「フロンターレで得点王をとった時ぐらいからの記憶ですね。そこから少しずつ凄い人だと理解し始めました」。

 ”大久保嘉人の息子”という看板は父親の偉大さを理解するごとに重さを増す。そしてその重圧を背負ってプレーすることが苦痛になっていった。

 それでもサッカーに触れる機会が多かった碧人は自然とまたサッカーをやり始めた。そして転機となったのが高校1年の時に体験した海外サッカー留学。短期間とはいえ、初めて”大久保嘉人の息子”という看板を下ろしてプレー。

 「”全く通用しないんじゃないか”とも思っていたんですけど、意外とやれた。それにどちらかというと海外の方が向いているなと凄く感じて、帰って来てからも”また行きたいな”とずっと思っていました」。

 純粋にサッカーを楽しむ事と手応え、両方をフランスで掴んだ。そして昨年はスペインに渡り、様々なカテゴリーの試合を観戦。スペインの地でプロ入りを目指す決意を固めた。

 息子の決意を聞いた父は「成長を感じて嬉しかったですよ!自分がプレーしたところ(スペイン)でやるってことで。あまり自分から(自分の気持ちを)言ってくる子じゃなかったのでそれも嬉しかったですね。プロを目指すんだったらトコトンもがきながら気が済むまでやって欲しい」成長を喜び、背中を押した。

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