“カタパルト”によるデータはあるが、パス成功率などプレー面でのデータがないので、試合中のプレーデータを収集・分析する作業にも着手するところだ。
FC徳島は03年にセレステのチーム名で創設され、四国リーグに復帰した16年にFC徳島セレステへと改称。18年からFC徳島となり、吉野川市をホームタウンに活動している。
16年から昨季までの7シーズン(20年は新型コロナウイルス感染拡大のため中止)で、四国リーグ優勝と準優勝が3度ずつあり、天皇杯全日本選手権には徳島県代表として今年の104回大会まで9年連続出場。全国地域チャンピオンズリーグには、19年から昨季まで5年連続で挑戦中だが、21年に決勝ラウンドに進んだものの、残る4大会はいずれも1次ラウンドで姿を消し、JFLへの道を閉ざされている。
吉積会長は「JFLにさえ上がれれば、J2までは何とかなると考えています。JFLに昇格できたら計算できる選手を獲得し、しっかり戦い抜いていきたいですね」と、その時を遠望する。
現在の悩みのタネはホームグラウンドがないこと。早朝練習は人工芝のヨコタ上桜スポーツグラウンド(吉野川市多目的グラウンド)を使っているが、市の所有物とあってリーグ戦のホームゲームを毎回開催できるわけではなく、今季はホーム7試合のうち開幕戦と最終戦しか使用できない。
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