試合を観戦する南谷さん

 本部の日大グラウンドなどで行われた第1回大会が今でも一番記憶に残っていると、当時を振り返った南谷さん。参加チームが現在の半数程という規模だったが、「当時の静岡はレベルが高く、東海大会にも出れないので、この大会が唯一遠くに行ける大会だった」。当時は県外に出て試合ができる機会がなく、貴重な機会だった。

 それからも山形、福島、山梨を中心に、色んな場所で開催されてきたこの大会も、東日本大震災の影響で中止となった第37回大会を契機に第38回大会からは時之栖での集中開催に変更となり、現在の大会の姿に。

 「個人的には遠くに行くことが楽しみだった(笑)」と、静岡開催に無念さを滲ませた南谷さんだが、「時の栖で開催できるようになって、グラウンドは土から芝になり、宿の心配もなくなった。本当に素晴らしいことだと思います」と、運営面や安全面などを考えれば、今の形になって良かったと話す。

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▽令和6年度日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会
令和6年度日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会