南谷光一氏

 そんな教え子の佐藤監督について南谷さんは「彼は覚悟をもって浪人して、体育の勉強をして日体大に入った。大学では指導部を作って、オランダにも行って勉強して。僕のところで教育実習をやったんですが、最初は少しだけ一通りやり方を見せてあとは任せた。そしたら彼は生徒たちととことん向きあって、数週間で心を掴んだ。選手たちの入り口から出口までを面倒を見れる。だから人が集まってくる。そうやって名監督になった。卒業して教員になった子は沢山いますけど、彼が一番皆から一目置かれる存在になった」と嬉しそうに話す。

 「みんな選手を目指すけど、サッカーは選手だけじゃない。審判や指導者や他の道もある。レベルが高くなれば試合に出るのも大変だけど、辞めないで続けることで、サッカーを通じて素晴らしい指導者に出会えて、人間もできてくるんです。サッカーだけじゃなく、社会人としてちゃんとした人間になることが大事」。選手や指導者、人と人との出会いが成長につながり、可能性を広げてくれるとしみじみ語った。

 第1回から積み重ねてきた歴史。その中で確実に南谷イズムは佐藤監督を筆頭に教え子たちに引き継がれている。これからも60回、70回、100回と続いていくであろう日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会。井戸を掘ってくれた人がいるからおいしい水が飲める。南谷さんが見守る中、来年も日大付属校の選手たちが時の栖でピッチを駆け巡る。

 (文=会田健司、写真=古部亮)

▽令和6年度日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会
令和6年度日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会