帰国後は、埼玉県教員クラブとして1982、83シーズンに日本サッカーリーグ2部に所属したこともある埼玉サッカークラブ(現さいたまサッカークラブ)に3年間在籍。高校時代のポジションはMFで、ブラジルではSB、教員クラブはFWか2列目を担当した。
そんな折、留学先で知り合った先輩から佐川急便東北支社サッカー部コーチに話を持ち掛けてもらい、練習生という肩書で加入。ただし公式戦には1度も出られなかった。
サッカー部は仙台市を拠点に活動し、仙台実業団リーグに加盟。深夜12時から8時まで佐川急便で働き、仮眠を取って午後2時半からの練習に参加する生活を続けた。しかしこの日常サイクルは過酷だった上、左ひざを手術したこともあって1年で退社、退部する。
「でもまだ現役を続けたい、ボールを蹴りたいという思いが強く、さらに教員を目指そうという明確な目標ができたんです。埼玉サッカークラブ(2008年からさいたまサッカークラブ)に復帰させてもらい、プレーしながら埼玉大学教育学部生涯学習専攻健康スポーツコースへ編入し、2年間学んで教員職員免許を取得しました」
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▽第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選
第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選