みなさん初めまして。現在タイのD2リーグの Assumption United F.C に所属している小澤淳一です。D2リーグはタイの3部相当に値し、地域リーグになりますが、人生初のプロ契約を掴む事ができました。

 今回、僕が海外にチャレンジし、契約を掴むまでに至る過程をコラムに書かせて頂きます。余り文章は普段書かないのですが、今後同じように海外にチャレンジする皆様のお役になるように伝えられたらと思うのでよろしくお願いします。

 1回目では自己紹介となぜ海外に挑戦したくなったのか、について書いていきたいと思います。

 僕は群馬県出身で東京で育ちました。小学校は家の近くの少年団でサッカーを始め、中学でも近くのクラブチームに所属していました。

 高校は、僕が中学3年次に全国高校サッカー選手権に出場していた東久留米総合高校に進学しました。高校3年次には運が良かったこともあり、なんとか全国高校サッカー選手権に出場できました。しかし、高校当時はプロへの意識は全然なく、練習もキツすぎたので、高校でサッカーやめようかなと考えたことも実はありました(笑)。でも気付けばサッカーのことをいつも考えていて、大学進学についてもサッカーを続ける前提で探していました。

 そして僕は群馬県の上武大学に進学しました。決して有名ではない大学ですが、僕はこの大学で上を目指したいと思ったし、下から這い上がっていく環境にやりがいを感じ進学しました。この頃、初めて僕はプロを意識するようになりました。大学に入学する前の3月にJ2のザスパ草津(現、ザスパクサツ群馬)と試合をやらせて頂いた時に、まだ入学もしてない僕はたまたま試合に出場させて頂きました。18歳にして初めてプロの世界を感じた瞬間でした。僅かでしたがプロで通用したプレー、そして通用しなかったほとんどのプレーを肌で感じ、サッカーをやっている人間としてこの境地まで行きたいなと思いました。しかし大学サッカーでは全く結果が出せず、僕自身も最後のシーズンで大怪我をしてしまいました。結果も出ず、4年次はほとんど怪我でプレーも満足にできない中でこれからどうするか悩んでいました。サッカーには携わっていたいと思い、指導者になるか、怪我はしているが何とか治してプロになる道を探すか。

 僕の最初の答えはユニフォームを脱ぐことでした。

 ですが、僕は指導者としてピッチにいても、自分がプレーすることばかり考えていました。そして卒業する目前で僕はサッカーを続けるという決断をしました。ぎりぎりのタイミングでの決断だったので周りの方にはたくさんの迷惑を掛けました。

 でもこの決断が、僕の生きていく上でとても大きな意味を持つ決断になりました。

 僕はサッカーを続けることで多くの物を我慢しなければなりませんでした。周りから否定される事も多くありましたが、自分はサッカーの道に生きると決めることができ、どんなことにも屈しない大きな覚悟を持つことができました。

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