優勝決定後に涙を流す青森山田MF10松木玖生(写真=森田将義)

 大会で放った存在感は、MVPと言っても過言ではない。ボランチの位置で力強く奪ったボールをサイドへと展開したかと思えば、ゴール前に飛び出しフィニッシュにも絡む。大一番と言える準決勝の静岡学園(静岡)戦では2ゴールを奪うなど、ここぞの場面で仕事を果たせるお祭り男としての働きも目を惹いたのが、青森山田史上2度目のインターハイ優勝に貢献したMF松木玖生(3年)だ。

 試合を見る度に感じる逞しさと共に印象に残っているのは、涙を流す姿。筆者が彼のプレーを初めて見たのは今から3年前の5月。中学3年だった松木は青森山田中の主将として、全日本U-15サッカー大会に挑んだが、グループステージでは清水JYに敗戦。決勝で再戦を果たしたが、PK戦で涙を飲んだ。悔し涙で声が枯れた松木は、「優勝したかったので悔しいです。収穫はあまりなかった。前への推進力とかシュートが打てなかった」と口にしていた。

 この年の夏には、最大のターゲットにしていた全国中学サッカー大会(全中)の決勝で日章学園中に敗れ、連覇が4でストップ。冬に行われた全日本U-15サッカー選手権大会では準々決勝まで進んだが、川崎U-15にPK戦で敗れ、人目を憚らず涙した。

 1年目から主力として活躍した高校生活でも、あと一歩の所まで迫りながら、不思議とタイトルには縁がない。選手権の準決勝・帝京長岡高戦では途中交代し、ベンチで涙を流した。決勝で敗れた時も静岡学園が表彰式で歓喜に沸く姿を、号泣しながら見届けた。

 選手権の決勝で山梨学院高に敗れた2年目の冬も、松木は涙を流すものだと思っていた。だが、テレビのモニター越しに流れてきたのは目を真っ赤にしながらも涙を堪えて、号泣するMF安斎颯馬(現・早稲田大)を支えながらロッカールームまで連れて行く姿だった。その理由について、松木はこう話す。「自分が1年生の時の帝京長岡戦でベンチに下がって泣いて、その時にテレビに映ったのが凄く悔しかった。安斎には大学があるので、上を向いて欲しいということでとった行動でした。相棒として1年間やってきたし、ライバルとしても刺激し合えた仲だったので最後までついていてあげたかった」。

青森山田中時代の松木玖生(写真=森田将義)

 高校最後の年を迎えた夏。松木は悲願だった日本一をついに果たした。タイムアップを迎えた瞬間、その場で崩れ落ちた松木からはこれまでとは違う種類の涙があふれ出る。しばらくその場から動けなかった松木だが、「お前が最後までしっかりチームをまとめろ」というベンチからの声を聞いて立ち上がった。そんな彼の肩を支えて寄り添ったのは、中学からのチームメイトであるMF小野暉(3年)だ。二人の姿から、昨年の松木と安斎の姿が重なって見えた。

 試合後、記者陣に優勝の気持ちについて聞かれた松木は、「言葉じゃ表せないですね、本当に。ずっと3年間取り組んできてもダメでダメで。それが実った」と口にすると、少し間を空けて「嬉しい気持ちが一番ですね」と続けた。

 念願だった金メダルを手にして、「やっぱり銀よりも金が良い」と笑う姿には獰猛なピッチ上の表情とは違い、あどけなさが感じられたのも印象的だった。松木が流した涙の歴史を振り返ると、彼が涙と共に成長していったことがよく分かる。残された高校生活は、半年もない。少し気が早く、余計なお節介だが、冬の選手権で涙が良く似合う男は、高校最後にどんな種類の涙を流すのだろうか。

(文・写真=森田将義)

▽令和3年度全国高校サッカーインターハイ(総体)
令和3年度全国高校サッカーインターハイ(総体)