(写真=水野智也氏提供)
ーー伊奈学園高校時代は選手としても全国の舞台を目指していたそうですが、同時に審判員としてユース時代はどのような取り組みをされていましたか?
月に1回か2回、主に自分が選手として出場した後の練習試合や紅白戦の際に「笛を吹かせてください」と監督にお願いをして研鑽を積んでいました。吹いた後は、監督やコーチ、実際にその試合に出ていた選手たちに、「今の試合の審判どうでしたか?」と聞きにいきフィードバックを受けていました。当時は審判員の知り合いなどもあまりいなかったので、あの頃の活動はあくまで選手としての部活動の延長としての色合いが強かったと思います。
ーー選手と審判員を両立したことで良かったことはありますか?
選手としての経験は間違いなく審判員としての活動に生きます。「この場面だとディフェンスだったらこう考えるな」、「オフェンスだっただこう考えるだろうな」という思考や意図を感じることができるのは、当然選手としての経験があるからです。 さらに、審判を始めたことで、サッカーを見る視野は確実に広がりました。選手だけをやっていたときには気づかなかった第2の視点が加わったことは非常に大きかったです。よりサッカーが楽しく感じます。
ーー2015 年、第94回全国高校サッカー選手権大会1回戦の浦和駒場スタジアムでの藤枝東(静岡)対香芝(奈良)の試合で審判員として全国選手権の舞台にたちました(同大会は続く 2 回戦の國學院久我山高校(東京)と明秀日立高校(茨城)の試合も担当)。初めてピッチに立った時の気持ちはいかがでしたか?
やはり選手としてあのピッチに立ちたかったですが、立てなかった場所だったので、やっぱり感動しましたね。選手としてすごく沢山のお客様の前で、サッカーをやってみたかったので、選手として達成はできませんでしたが、形を変えて、その舞台に立てたのは本当に良かったです。審判を始めたきっかけは高校当時の監督からの勧めではありましたが、それ以降は大きなモチベーションとして、選手として到達できなかったレベルに何とか関わりたいと思いがありましたので、それが達成できたということに対する喜びは格別でした。また、同時に自分が選手として達成できなかったこの舞台へたどり着いた目の前の選手たちは本当にすごいなと尊敬しています。これは例えば、今担当をしている関東大学リーグなどの舞台でも同じ気持ちになります。
(取材=神戸駿宏 写真=水野智也氏提供)
2009 年高校1年生時に伊奈学園高校サッカー部の 1 年生として同期とともに 4 級を取得。
2012 年の大学入学後、審判一筋の進路を決め、1 年生時に 3 級、2014 年に 2 級へとステップアップをし、現在1 級への昇級を狙う。現在の主な活躍のフィールドは関東大学リーグ 1 部や関東社会人リーグ 1 部。