ポルティモネンセSC 安西幸輝選手(写真=コネクト株式会社提供)
サッカー日本代表の長友佑都、酒井宏樹の不動の両サイドバックに下剋上を名乗り上げる一人の男がいる。2019年7月からポルトガル1部のポルティモネンセSCでプレーをする日本代表の安西幸輝選手(24歳)だ。
育成年代を東京ヴェルディで過ごし、プロサッカー選手として東京ヴェルディ、鹿島アントラーズでプレーし、2019年3月から日本代表にも選出され続けている。
今シーズン、ヨーロッパで飛躍が期待される安西選手に、ポルトガル挑戦記を振り返って、残留争いに巻き込まれながらも這い上がった激動の1年を振り返っていただいた。
今回は、全2回にわたるインタビューの1回目となります。
ーー安西選手のプレースタイルをみていて、サイドでの運動量豊富な攻撃的なサイドバックみたい言われていると思うのですがプロになってからもポジションは変わらないですか?
僕はサイドハーフをずっとやっていて、プロに入ってからサイドバック1本でやってきました。
ーー自分が認識しているサイドバックの強みとは?
サイドハーフ出身のサイドバックなので攻撃は長けているのかなと思いますし、人よりはボール捌けるし、攻撃に参加する回数も多いので、そこは自信持っているかなと思います。
ーー最初ヴェルディでキャリアをスタートさせて、そこから日本一の鹿島に行ったと思うのですが、実際鹿島に行ってどうでしたか?J2の上位からJ1の上位へ行ったと思うのですが。
鹿島のサイドバックと言ったら、日本代表が見える位置です。同じ時期に内田篤人が帰ってきた年なので内田篤人さんを取ると言っていたので、それもあって子供の頃から憧れていた選手と同じチームになれるっていうのはなかなかないのでそれが一番の決め手でした。僕の中では。
ーー鹿島で1年半プレーされたと思うのですが、その中で掴んだものはどんなものでしたか?
よく鹿島は常勝軍団と言われますが、正直鹿島入ったところでわからなかった。何が常勝軍団なのかというのは。
ただあのチームは勝つことに凄いこだわっているし、引き分けただけでお通夜みたいな雰囲気になるチームで、だから勝つことが義務のようなチームで1年半やらせてもらったのは本当に今のキャリアに絶対つながっていると自信持って言えます。
ーー当時の鹿島は上位に食い込んでいて、そのままでも安西選手のステップアップにのぞめたと思うのですが、より海外を目指したきっかけはありますか?
2019年3月に初めて代表に選ばれて、正直若干行きたくないと思ったのですが(海外)鹿島でずっとやりたかったから10年くらい。だけど代表に行って海外組の選手と一緒に練習していたらレベルが違ってヴェルディから鹿島に行った時のプレースピードの早さと鹿島から代表に行った時のプレースピードがもう一個上がっていて、これ海外でやらないと代表のスタメン取れないなと思って、行こうかなと思いました。
ーーJリーグ組がヨーロッパ組とやると、そういう意識になるという話を聞くのですが
選手の意識の高さと、海外でやっているその環境だったり、あとは日常の話を聞いているともっとやらないとダメだなとJリーグにいる時は感じていたし。
僕も鹿島というトップクラブでこれで良いかなと思っていましたが海外組の人たちとやって、もう一個いかないとダメだなと思って、行かないといけないと思いました。
【記事提供元】メディアコネクト
(取材=クリスティアンGマーティン(BEスポーツメディア)/ 文=池田鉄平 / 写真=コネクト株式会社提供))