現役高校生レフェリー千里高校 木下心(2年)

 近年、ユース年代ではリーグ戦が全国で整備され、試合数も増加し強化の体制も進んでいる。大阪では1部から4部までリーグ戦が行われ、その上にはプリンスリーグ関西の1部と2部、プレミアリーグとカテゴリーの幅が広がった。しかし、試合数が増えたことにより、審判の質や数の問題も起こっている。そんな中、同年代の試合で主審を務める高校生の存在も。先日行われた日本高校選抜の合宿ではユースレフェリーが参加し試合を担当した。その中の一人である千里高校2年生の木下心(きのした こころ)は大阪公立高校プレ大会の準決勝で主審を担当。その試合後、木下に話を聞いた。

ーー審判を始めたきっかけを教えてもらえますか?

 高1の10月まではサッカー部で普通にサッカーをやっていたんですが、頸椎ヘルニアという怪我をしてしまってドクターストップがかかってしまい、サッカーは公式戦レベルをもうやれないという事で退部するという形になりました。サッカーは幼稚園からずっとやってきたスポーツで好きなので、ピッチの中に残りたいという考えが強くありました。そんな中、退部してすぐの1月2月にたまたま大阪レフェリーアカデミーの研修があって、そこに行ってみたのが審判を始めたきっかけです。

ーーサッカーを続けられないとわかった時の心境は?

 辛い気持ちもあったんですけど、審判の研修が丁度いいタイミングであったので、審判をやれるという事で思ったよりは大丈夫でした。

ーー元々審判には興味があったんですか?

 サッカーの理解を深めようという事で、中学生の頃に自分で4級をとっていました。

ーー初めて主審をやったのはいつですか?

 その研修の時なので1年生の1月ですね。

ーー初めて主審をやる時は大変そうですがどうでしたか?

 もう右も左もわからず、どこにいたらいいのかもわからなかったです(笑)。それでも逆にそれが起爆剤となって、もっとどうすればいいのかを考えるようになりました。それと、僕はサッカーを観るのも好きだったので、選手のプレーを間近でみれる主審は"ピッチの中の特等席だな"と思うようにもなりました。

ーーそれから1年程で、すでに堂々とやっているように見えましたが?

 そうですね、普通のユース審判は部活と掛け持ちなので活動が限られるんですが、僕の場合は全ての土日で活動できるので、試合数をこなせているのは僕の有利な所だと思います。1年目で100試合を超える試合をやらせてもらったので、経験値は凄く上がったと思います。

ーー選手からすると主審の方は年上というイメージがあると思うんですが、同年代や年上の選手の試合の笛を吹く難しさってありますか?

 悪い面で言うと、同年代や年下という事で選手からなめられがちですが、逆に言うと若いなりのフレッシュさがありますし、同年代という事で良くも悪くも考え方が似ている事でやりにくさはあまり感じていないですね。

ーー現役高校生で主審をやっているというのは珍しいと思うんですが、見られ方で感じることはありますか?

 世間的に審判は悪いイメージの方がまだ強いので、そこの面で最初は不安だったんですが、スタッフの方のバックアップもあって、見られ方としては"凄いね!"って言ってもらえることが多いですし、話しかけてくれることも多いので、ポジティブなことの方が多いのかなという印象ですね。

ーーユース年代はリーグ戦の普及もあって試合数が増えたことによって、審判の質や数の問題も出て来ていますが、そこに対してはどう感じますか?

 選手が育っていく事が一番大事だと思うんですが、審判がいて試合が成り立つという面もあるので、審判の必要性ももう少し考えていかないといけないのかなと。それと審判も人間なので、人間として見て欲しいというところも感じますし、選手と切磋琢磨していく事が大事だと思うので、そこにやりがいを感じますし、そういう意識を広めていきたいなと思っています。選手やチームスタッフの方の審判への理解も一定数ないと、辞めてしまう審判もいると思うので、"サッカーは楽しい"と同じように"審判も楽しい"ということをもっと知ってもらえたらと思っています。

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