神奈川の強豪桐光学園で培った確かな技術を元に、ラオス1部・モンゴル1部でトロフィーをもたらした後、ミャンマー1部の強豪Yangon Unitedと契約した村田勝利。高校、大学、ノンプロを経て海外へ挑戦した村田に話を聞いた。

――これまでのキャリアに関しても簡単に教えて下さい。
2016シーズンの後期からラオスのLAOTOYOTA.FCというクラブでプレーし、2017シーズン終わりまでプレーしました。リーグ優勝とAFCcupというアジアの国際大会のプレーオフにも出られて、リーグ選抜にも選ばれたので移籍を考えましたが、約3カ月程色々トライアルにいったりしましたが決まらない状況でした。そんな中、声をかけてくれたモンゴルのATHLETIC220FCで2018シーズンはプレーしました。カップ戦は優勝できたのですが、左膝の後十字靭帯を損傷してしまい、復帰の時期がモンゴルの移籍マーケットにしか間に合わないということで、契約を延長して2019シーズンもATHLETIC220FCでプレーしました。

――ミャンマーの強豪ヤンゴンユナイテッドと契約されましたが、経緯を教えて下さい。
2019シーズンはモンゴルでプレーしていたのですがシーズン中にお世話になっている仲介人の方からヤンゴンユナイテッドが興味持ってくれていて5日位見たいという話を頂いたので即答で行きますと答えました。そして1試合トライアウトマッチに出場して契約という形になりました。

――日本でのキャリア、またそれを得て何故海外で挑戦しようと思ったか、教えて下さい。
高校は桐光学園という神奈川の高校でプレーして、その後関東学院大学に進学しプレーしました。そして大学在学中にJリーグのチーム数チームに練習参加したりしていたのですが、なかなか決まらずサッカーを続けるか辞めるのかという事を考えていた際に現在お世話になっている仲介人の方とお会いしました。「海外に興味ない?」という話をされて、英語も全く話せなかったのですが、アルビレックス新潟シンガポールでプレーしていた友人にも色々話を聞いて、面白そうかもという感覚だけで海外にいくことを決めました。

――海外に出て日本を出る前と変わった事はありますか?また、海外に出て良かったと思う事はなんですか?
サッカーの部分では日本でプレーしてた際は、チームがうまくいけば、自分が目立たなくてもチームが勝てばそれでいいと思ってやっていました。海外に出て助っ人外国人として外國人枠でプレーするようになり、数字や結果をもの凄く気にするようになりました。プレースタイルも海外に出て変わったなと思いますし、ビデオを見た友人等に変わったなと言われる事が多いですね。

海外に出て良かったと思う点はプロとして生きられる事ですかね。またサッカーを通して色々な国に住んだり、行ったりして実際に自分の目でその国の人や文化を見て、そして触れてこんな考え方や世界観があるんだなとか、日本て恵まれているなと、海外を知ったからこそ感じたりします。多くの気付きが有り、それは日本にいただけでは感じられない事だと思いますね。あとは色々な国に元チームメイトや色々な友人が出来たのも自分の財産になってます。

――今年は桐光学園がインターハイを制し、冬は選手権予選決勝で惜しくも日大藤沢に負けてしまいました。村田選手の桐光学園での高校時代はどうでしたか?
高校2年時はインターハイで全国ベスト4で、高校3年時の選手権が全国ベスト16とかでしたね。一番練習して、一番しんどかったですが、今思えば楽しかった3年間でした。また戻れと言われても戻りたくはないですが(笑)

――日本の高校と大学で学んだ事が海外で活かされてる事はありますか?
同じサッカーでもその国その国の色があり、良いとされるプレー、悪いとされるプレーが違うので一概には言えないんですが、やはり高校、大学ともに非常に自分にとっては大事な時間でしたね。その7年間で培ったものがあったからこそ、まだプレーし続けられてるのかなと思います。

――今後のキャリアの目標を教えて下さい。
毎年毎年そうですが、自分はほとんど1年契約にしてるので、その国でそのチームで結果を残せないと次はないと思いプレーしています。この東南アジアのサッカーのピラミッドの中で少しでも上に行けるように頑張ってやりたいですね。

【村田勝利(むらた しょうり)】
▽経歴
2009~2012年 桐光学園
2012~2016年 関東学院大学
2016年 HBO東京
2016~2017年 Lao Toyota FC(ラオス1部)
2018~2019年 Athletic 220 (モンゴル1部)
2020年 Yangon United (ミャンマー1部)

(取材・写真=石津大輝)