フランチェスコ・トッティ

 元イタリア代表FWのフランチェスコ・トッティは、現代ではもはや絶滅しかけている本物の“ワンクラブマン”であり、ASローマ史上最高の“バンディエーラ(旗頭)” だった。

 イタリアの首都で1976年9月26日に生まれ、当然のようにロマニスタ(ASローマのファン)として育つ。その幼少期には『キャプテン翼』のアニメに夢中になったという。永遠の都の3つの街クラブを経て、12歳で愛するローマの下部組織に入団。1992年に16歳でトップチーム・デビューしてから2017年に40歳で現役引退するまで、アカデミー時代を含めれば実に28年間に渡ってジャッロロッソ(黄と赤)のユニホームに忠誠を誓い続けた。

 このファンタジスタがローマで勝ち取った最大のビッグタイトルは、2000-2001シーズンのセリエA優勝。24歳の若さにしてすでに背番号10にしてキャプテンという絶対的な地位を得ていたトッティは、3-4-1-2システムのトップ下として組み立て、崩し、そしてフィニッシュと攻撃の全局面に絡み、チームを実に18年ぶりのイタリア王者に導いたのだ。

 当時の日本では、ポジションが同じ中田英寿とのライバル関係がクローズアップされ、実際に優勝に向けた大一番となった29節(当時は34試合制)のユベントス戦では、トッティとの交代で送り込まれた中田が0-2の状況から1ゴール・1アシストを記録してチームを救ってもいる。ただ、戦術的にも精神的にもローマの中心にいたのは、「プリンチペ・ディ・ローマ(ローマの王子)」の愛称で親しまれたトッティに他ならなかった。

 2005-2006シーズンには大きな転機が訪れる。新任のルチャーノ・スパレッティ監督にCFにコンバートされ、新境地を開くのだ。いわゆる“偽の9番”として最前線から中盤に下がりながら攻撃をオーガナイズする役割がピッタリとハマり、翌2006-2007シーズンには26ゴールを挙げてキャリア唯一のセリエA得点王にも輝いている。守備の局面における運動力も求められるトップ下から、より攻撃に専念できる偽の9番やセカンドトップにポジションを移したことが、トッティが40歳まで現役を続けられた理由の一端だろう。

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フランチェスコ・トッティ氏のシークレットファンミーティングが開催!

【開催概要】
イベント名:【ゴールデンコンセプト主催】フランチェスコ・トッティ シークレット ファンミーティング
出演者 フランチェスコ・トッティ、岩本輝雄
日程:2023年10月22日(日) 開場日時 14:00  開演日時 15:00
会場: 山手線沿線徒歩5分以内(東京都)
販売元:AEGIS TEXT

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