結果が出るまでつらい日々が続いたそうだが、1年目の新人大会で中堅の愛知高校を撃破した。勝つことの喜び、番狂わせを起こす楽しさにひかれ、すっかりサッカーのとりこになった。13年に日本協会公認の指導者資格C級、15年にB級を取得。サッカー指導者への道をひたすら突き進むことになった。
旭野高校に6年勤務した後、長久手高校(長久手市)に転勤し、松田竜至監督の参謀として6年間学んだ。「勝負に徹し、スキのないチームをつくるのがうまい監督さんです。毎日の練習の質が高く、とても勉強になりました」と述懐する。
18年には愛知県協会指導者養成の地区ダイレクターとして、主に中学生の指導に当たった。
県内でも中堅の指導者として地位を獲得していた折、父親が亡くなった。「いずれは地元に戻りたいと考えていたので、(22年に)埼玉の教員試験に再度挑戦し合格しました」。06年の関東高校大会予選を制し、本大会でベスト8入りした所沢中央高が初任地となり昨春、地元への“帰参”がかなった。