(写真=田畑雅宏)
あなたは怒られたことがありますか? あなたは叱られたことがありますか?
怒るとは、感情行動です。自分自身に向けられる場合もあります。
叱るとは、間違った行動を正す行動です。
試合中やトレーニング中に選手に怒鳴り続け、罵声を浴びせ続けるコーチがいます。
その日の気分で生徒達に、急に怒ったり、ダラダラと説教をしたり、叱ったり、あきらかに生徒に八つ当たりしている先生がいます。
そういった、コーチや先生は人を教える場に立ってはなりません。
人の上に立つということは、まずは自身の日常がしっかりしている事が前提です。
自身の家庭や、自分の子どもをしっかりと育てられない者が他人様のお子さんを叱ることは許されないと思います。
日常生活が上手くいっていないコーチや先生はストレスを貯め込んでいるのでしょう。
コーチや先生のストレスの捌け口が選手や生徒さんに向けられているだけです。
そういった「怒る」「叱る」はネガティブな行為であり絶対に許されない行為です。
このようなコーチや先生方の「怒る」「叱る」は本稿では定義としていないことをご理解ください。
ここ最近、怒ったり、叱ったりしない先生やコーチが増えている気がします。
「笑う」「褒める」だけが良い先生やコーチなのでしょうか? 本当に優しい先生なのでしょうか?
「怒る」「叱る」は「笑う」「褒める」と対義するものではなく、共にポジティブな事であり類義すると私は思っています。
「怒る」「叱る」は「笑う」「褒める」の最上級であると思います。
愛情があって発せられる言葉であり、相手を勇気づける言葉でなくてはならないからです。
もちろん専門的な見地からは対義語であることは認識しております。
子どもは、褒められたり、叱られたり、怒られたりしながら成長していくものだと思います。
寒い日もあれば、熱い日もあります。
雨の降る日もあれば、雪の降り積もる日もあるでしょう。
植物や食物はその中で根を張り、逞しく成長し、果実をつけて、長い月日をかけて、大輪の花を咲かせます。
人間もまた、同様でしょう。
楽しい日もあれば、辛い日もあります。
褒められる日もあれば、叱られる日もあるでしょう。
全てを自身の糧にしていくことで人は成長していくのです。
挑戦するから、失敗もあります。
失敗から、失敗という経験を学び、その経験を活かして成功を手に入れるのです。
困難を克服していく事で人は成長して行きます。
その大切な成長過程で揉まれずに仕上がってしまえばどうなるでしょうか。
植物に例えるならば、根も張れず、まったく旨味のないスカスカの果実となり、 直ぐに枯れ果てるのではないでしょうか。
先生方には、子ども達を励ます役目があります。
先生方には、子ども達に希望を与える役目があります。
子ども達に熱を与えられないのであれば、その先生の存在はもはや必要ないと言えるのではないでしょうか。
先生方はその役目がある事を今一度認識して欲しいと願っております。
今一度言わせてください。
本当の優しさとは、愛情のある厳しさです。
相手への愛情があるからこそ、怒ったり、叱ったりが存在するのだと思います。
だから、あなたの事を一番に愛しているお父さんやお母さんは、あなたが間違った行動をすれば、怒ったり、叱ったりしてくれるのです。
本当に優しい人とは、怒ったり、叱ったりをしてくれる人だと思います。
怒られるということは、あなたに対して愛情を抱いている証拠です。
叱られるということは、同じ間違いを繰り返さないように諭してくれているのです。
フランスの思想家アランは、 「ロープウェイで来た人は登山家と同じ太陽を見ることはできない」と記しています。
高校生の皆さん。
叱られると、ヘコむと思います。
落ち込むと思います。
いつか、それは、とてもありがたい事であったと気づく時がきます。
楽をせず、地道に人生という名の登山を自分の足で確実に歩んでください。
身の危険な場所を登ろうとしたら、叱ってくれる人が現れるでしょう。
辛くても一生懸命に山道を登っていれば、励ましてくれる人が現れるでしょう。
叱ってくれる人は、あなたの味方です。
叱ってくれる人がいるならば、あなたは幸せです。
叱ってくれる人がいるならば、心から感謝をしましょう。
あなたには、登山家と同じ太陽を見て欲しいと心から願っています。
(文・写真=田畑雅宏)
第98回全国高校サッカー選手権