大西貴氏

ーー加えてサッカーをする環境にも恵まれていた。

 地区にはサッカーをできるグラウンドも2面ありましたし、その片方では南宇和の高校生、もう片方では中学生がしているような環境。そのうち週1回か2回は高校生と中学生が練習試合をするんです。城辺中と御荘中が入れ替わったり、合同チームを組んだりして。 そして中3の夏になると南宇和での高校サッカーフェスティバルに地区のサッカー部員は全員集められて、中3生チームで全国的に名のある高校サッカーチームと試合をするんです。Bチームと試合をするんですが、実はその時に負けたことがなかったんです。そこで石橋先生も自信を深めたと思いますね。今考えたら普通の事かもしれませんが、当時はクラブユースもほとんどなかった時代。いろいろな経験をさせて頂きました。

ーー南宇和に入学すると1年生から公式戦に出場。同じ城辺中から進んだ黒田 一則さん(元西濃運輸・愛媛FCでMF。現在は会社員及び愛媛フットサルパークコーチ)と共に選手権の舞台も踏んでいます。

 僕は1年生の時は県大会でのコンデションが悪くて、選手権では1学年上の埜下(荘司)さん(元ガンバ大阪、コンサドーレ札幌などでDF)がポジションを上げた時にサイドバックに入るような感じでした。選手権では全国初戦でアシストを決めて、そこからスタメンに復帰しました。

 ただ、全国大会デビューは北海道でのインターハイでしたが、遠征時には思っていなかったスタメンも経験できましたし、選手権でも物怖じするようなことはなかったです。

ーー当時の練習内容も教えてください。

 朝練習では林さんというサイドバックの先輩と必ず一緒に1対1の練習をしていました。その時に「こうやって守る。こうやって対応する」という原則を覚えることができました。 夕方からの練習は2時間半から3時間。ボールを止める・蹴る・またぐ・切り返すなどの練習はみんな中学の時に基礎ができていたので、高校ではどう活かすか、ボールへのアプローチなどを数多く練習しました。そして30メートルくらいのロングキックも時間をかけてやっていましたね。 加えて2年の高校選手権で前橋商(群馬)に負けてからは「もっと身体を作っていこう」という話になって、練習後に捕食を摂取してからジムでの筋力トレーニング。自宅に戻るのは21時から22時でした。

【次のページ】 「選手たちで決めていた」アドリブのプレー