「選手たちで決めていた」アドリブのプレー

ーーでは、いよいよ3年冬の選手権の話に移りましょう。当時の映像を見ても戦術的な意図もしっかりしている印象がありますね。

 正直に言えば負ける要素がなかったんです。準々決勝までのPK戦が2試合ありましたけど、内容的には帝京戦はPK戦まで持っていってはいけないゲーム。その半面、四日市中央工戦は苦しかった。ただ、四日市中央工戦で何とかやりあってPK戦に持ち込んだ時点で何となく「負けることはないな」というのはありました。

 というのも、自分たちが最上級生になった代は公式戦で負けたのは藤田 俊哉(元日本代表・ジュビロ磐田など。現:日本サッカー協会欧州強化部員)がいた清水市立清水商(現:静岡市立清水桜が丘)にインターハイ準決勝で負けただけ。国見ともよく練習試合をしましたが、ここでも五分五分だったんですよね。

 しかも選手権にはインターハイと全日本ユースのプレ大会の2冠を獲得していた「キヨショウ」が静岡県予選で負けて出場していない。「だったら優勝できるだろ」という感じだったんです。

ーー準々決勝・仙台育英戦の決勝点は大西さんから西田選手へのロングパスでした。

この得点は狙った通りのプレー。僕のパスに対して西田が相手のDF裏に抜け出すパターンはずっと彼とも話をして練習していたんです。理由はスピードのある西田の特長を活かしながらハイラインの相手に対し、インターセプトした勢いを保ったままゴールまでつなげていくため。南宇和では個人練習の時間も与えられていたので、「西田があそこに走ってくれるだろう」というイメージはあらかじめあったんですよね。

 DFにしても特長を活かす選手たちのアドリブがありました。僕の両側を守っていたのは2年生だった實好(礼忠・京都サンガ監督)と同級生の岡原(正佳)ですが、特に岡原はとにかくヘディングが強い選手だったんです。ですから、僕はとにかく岡原に競らせてこぼれ球を拾う(笑)。でも岡原は競り合っても自分の頭には触れてくれるから、一番それがよかったんです。自信の源はそこにもありました。

 自分の現在における指導にも南宇和での経験は活きています。「今はこうだけと、目標を置いて、ステップアップしていく感覚を養う」。そこを組み立てるトレーニングを続けてきました。

 愛媛FCユースの時に僕が指導して、以前は鹿島アントラーズでもプレーした前野 貴徳(愛媛FC・DF)もその1人。彼に対しては左足の技術をどう活かすかと、プロに行くための厳しさや、常に考える癖を、基準を与えながら教えてきました。

後編では全国制覇の裏にあったチームの危機と結束。そして決勝戦・国立で去来した「ある感情」について触れていきます。

(取材=寺下友徳)