――母校に戻るきっかけになったのは?
元々サッカーを始めた頃から、指導者になりたいと思っていて、高校サッカー選手権に憧れてサッカーを始めました。指導者になって選手権に出て優勝したいという想いがあったので、誘われた時はほぼ即決でした。母校に戻れるっていうチャンスも早々あるわけでもないので、タイミングも合ったし、監督の事も理解していたし、自分の想いもあったし、全てが合致したなと思います。
――コーチになって最初の頃は黒田監督からどんなことを教わりましたか?
黒田監督は一から十まで全部を言うタイプではなかったので、「感じろ」とよく言われていました。コーチ自ら気付いて行動する。その方法とかは指摘をされたりはあったと思いますが、何かを教わったりというよりも、傍にいて感じ取った方が多いですかね。その中でいくつか言葉のヒントがあったり。そういう意味では「見て学べ、感じて学べ」という感じでしたね。
――どれくらいの期間でコーチとしてチームを任されるようになりましたか?
どうですかね、自分がコーチになってから黒田監督が高校選抜のコーチになったので、2年目でサニックス杯をいきなり任されたんです。そこでベスト8まで行ったんですが、前年チャンピオンと準優勝の市船と鹿実、アジアチャンピオンのU-17中国代表と同じグループだったんですが、そこを2位で通過して、黒田監督からも「お前凄いな」って言われて。そこで結果を出したのが凄く自信になりましたね。
あとは黒田監督がA級やS級ライセンスを取りに行ったりで不在になることもあって、4年目くらいまでにチームを任される事が結構ありました。特にS級を取りに行っている期間は長かったので、練習からゲームに向けて自分で構築してやっていました。なので、そうやっている中で監督から「次の新人戦をやってみろ」と任せてもらえるようになったと思います。
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