――大学でセパタクローに出合って半年で日本代表に選ばれ、それから中心選手として活躍し、アジア競技大会でメダルを取るまでになります。「向いていた」というだけでそこまでにはいけないと思います。そのレベルにまで到達できた要因を自分ではどう考えていますか?

 やればやるほどセパタクローという競技が好きになっていったのが一番ですね。僕が始めた頃は日本のセパタクローは海外ではなかなか勝てなかったけど、自分が上達していくにつれて、代表チームも結果が出るようになっていくのが楽しかったんですね。努力すれば、そのぶんだけ成果がついてくるのが、なによりのモチベーションになりました。それにセパタクローを知ってくれる人が少しずつ増えましたし、環境や認知も一つひとつステップアップしていくのが楽しくて。だから今も関わっているんだと思います。

――辞めたいと思ったことはありませんか?

 ないですね。勝てない時期があっても、メダルを取ろうと挑んだ初めてのアジア競技大会でボロ負けをしても、怪我をした時も、一度も辞めようという思考になったことはないですね。

――やはり、それは好きだから。

 はい。好きだから。負けたままじゃ終われないと、そういう想いでした。

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