アジア競技大会では銅メダルを獲得(写真=高須力/Tsutomu Takasu)

――タイリーグでプレーするなど、セパタクロー界を引っ張ってきた背景には、そういう信念があったわけですね。

 と言っても僕は世代で言うと、第3世代くらいにあたるんです。僕の上には日本のセパタクロー界の礎を築いてくれた寺本(進)さんがいます。タイで初めてプレーした日本人であり、僕の尊敬する人です。僕は代表で一緒にプレーしながら寺本さんの背中を見て、追いかけていた。当時は取材となれば、ほとんどが寺本さんがメインでしたから、僕もそういう寺本さんを見て、セパタクローを日本の人に知ってもらうためにはどうしたらいいだろうと考えるようになりました。代表チームに入った当時は、まだSNSは発達していなくてブログが流行り出していた時期だったので、自分でブログを初めてみたりとか。日本代表として発信していく役割は意識していましたね。

――代表としてだけでなく、クラブチームでも周りを引っ張ってきていますね。阪神酒販に務めていた時も実業団をご自身の力で立ち上げたとか。

 阪神酒販に入ったのは、アメフト出身の社長が、アスリートを使って事業を拡大させたいという想いがあって、声をかけてくれたからなんです。当時のセパタクロー選手は、大学卒業と同時に競技を辞めてしまう人が大半で、トップ選手もフリーターとして生活しながらアジア大会を目指すのがひとつのサイクルになっていました。いずれにしても息は長くなかったんです。

 僕もそこに漏れず大学を卒業してから2年間くらいは、フリーターをやって生計を立てながら代表活動の資金を貯めていました。そんななかで、セパタクローや他の競技の選手を正社員で雇用してくれたのが阪神酒販でした。

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