(写真=デールさいたまスポーツクラブ)

―――高校はどこでやっていたんですか?

 高校では強いところでチャレンジしたいと思って、東京の私立駿台学園というところにサッカー推薦で入りました。1学年60人いて、そこで試合に出る厳しさを味わって。監督も体育主任で物凄く厳しい人で、生活面から授業中、サッカーまで常に襟を正すような毎日でした。いっぱい走りましたし、厳しい環境の中で3年間やりました。その甲斐もあって、自分たちの代の新人戦は東京都の準決勝までいって、修徳に1-2で負けてしまいましたが、その試合で同点ゴールを決めた時の大歓声は今でも覚えています。僕たちの世代は結果も出ていて、かなり期待もされていましたが全国大会出場の夢は叶わず、選手権も準決勝で国士舘に負けて東京ベスト4で高校サッカーに幕を閉じました。

―――中学では伸び伸びやって、高校では厳しい環境で、両方味わったのですね。

 そうですね。中学の時も緩くはなかったんですが、総合型地域スポーツクラブということもあり、サッカーの楽しさを植え付けてくれて。高校では厳しさ、難しさ、挫折も経験しましたね。

―――大学でサッカーを続けなかった理由は?

 高校時代が過酷な3年間だったので、早く解放されたいと思ってしまって。それと、プロ選手を目指してきた中で、チームメイトで国体に選ばれるような選手でもプロには遠く、それを身近で見ていて自分なりに厳しいなと。もうやり切ったという感覚になってましたね。

―――大学に入ってからどんな経緯で浦和SCのスクールコーチになったのでしょうか?

 高校サッカー引退後もクラブの卒業生としてボールを蹴らせてもらっていて、ちょくちょくクラブに顔を出してはいたので、高校を卒業したタイミングでコーチをやらないかと誘っていただいて。全然自分がコーチをやるなんて思っていなかったんですが、自宅からも近いし面白そうだと思って、引き受けてみたら思っていたより楽しかったんです。

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