倉又泰弘浦和市立高OB会会長(写真=河野正)

 1943年(昭和18年)4月入学組の高校1期生として、ただひとり出席した92歳の菅野一郎さんは、浦和本太小2年でサッカーを始めた。「あの頃は野球の時代だったけど、私はキャッチボールなんかやったことがないんですよ。みんなボールを蹴っていました。というのも本太小には、埼玉師範学校でサッカー選手だった先生が3人もいたからです」と貴重な逸話を披露した。

 戦時下の物資不足とあり、ボールも靴もユニホームも先輩のお古を譲り受け、使い古しのボールを何度も縫って使ったそうだ。

 左ウイングで主将だった菅野さんは3年間で浦和市立、湘南、小田原、上野北にしか負けていない。「上野北戦は悪天候で寒さに震えたのを覚えています」と75年も前の試合を懐かしそうに回顧した。上野北(三重)とは第27回全国高校蹴球選手権準々決勝で対戦している。

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