――日体大を卒業してすぐ武南に赴任されたのですか?
そうです。1年目は教員ではなくコーチ専任として、2年目から非常勤講師を2年間、さらに常勤講師を3年間務めた後、現在の保健体育の専任教諭になりました。
――大学生の頃から体育教師を目指していたのですか?
小学生の頃から体育の教員になりたいという夢はありました。実は大学4年生の時、Jリーグ横浜フリューゲルスの練習参加に誘われたことがあるんです。その年、日体大が13年ぶりに総理大臣杯全日本大学トーナメントに出場し、横浜フリューゲルスとトレーニングマッチをした時も、練習に行ってみようかなって思いました。でもプロは厳しい世界ですから、すぐクビになる恐れもあると感じたし、それより教員になりたい思いのほうが強かったので見送りました。後になって1回くらいプロサッカーを経験しても良かったのかな、なんて思うことがなくもなかったですね。
――赴任した当時の指導陣は少なかったですよね?
はい、大山先生と新田智幸GKコーチと私の3人だけです。大山先生がトップチームを見て、私が150~160人くらいいたBチームをひとりで見ていました。