――指導者になりたての頃、どんなところに教えることの難しさを感じましたか?

 まずサッカーに対する持論や理論、感覚的なもの、自分が表現したいことを練習で落とし込み、試合で体現させることがものすごく大変で、最初の頃は随分と考え込んだものです。いろんなビデオを買ってはとことん研究しましたし、当時大宮アルディージャが練習していた志木市に自宅があったので、こっそり練習を見学して勉強したこともあります。

――指導者としてやっていける手応えをつかみ、それが自信に変わったのは、いつ頃だったのですか?

 コーチというのはすごく難しい役回りで、自分の理想ばかり追い掛けているとチームとして負の連鎖に陥る危険性があります。監督が選手に指示していることをどう練習に生かし、落とし込んでいけばいいのか。チームにとって何がベストなのかを常に考えていました。そうやりながらコーチとして経験を積ませてもらい、2016年にヘッドコーチを任されて埼玉最上位のS1(1部)リーグを戦いました。大山先生からは、いろんなことを経験しなさいと提案され、翌年は同じくOBの津島公人がヘッドコーチになり、私はコーチとしてS2リーグを担当しました。

【次のページ】 武南 内野慎一郎監督#1「伝統校を指揮する責任感や重圧」(5)