この時は1年生を見ていて、関東ルーキーリーグで市立船橋流通経済大柏(ともに千葉)、帝京(東京)といった関東のトップチームの若い指導者とも真剣勝負できたのは、とても貴重な経験になりました。1年生の優秀な選手、後にチームの中心になっていく選手がバチバチ戦う大会は、いい勉強になりましたね。

 指導者としてやれそうだと感じ始めたのは、こういう実践を経て監督に就いた18年頃からです。「ここを目指していきたい」「こんなことをやりたい」といったスローガンが明確になりました。

――指導哲学のようなものが身に付いてきたのですね。

 そうです。コーチの頃は「こんな手法もある」って思いながらも、なかなか口に出せませんでした。コーチは監督の補佐ですから、自分が自分がという言動は封印しました。

――では、チームをつくる上でのこだわりや哲学は何でしょう?

 自分は今までパスをメインとし、とても大切にしてきたので、必然的に行き当たりばったりで蹴り上げる戦法は取りません。ただパスワークだけでは相手にとって脅威にはなりませんよね。敵の陣形を崩すため、相手と駆け引きするため、相手を疲弊させるためにはドリブルが不可欠になってきます。新しいものを取り入れた上で、判断力というものをとても重要な基準としてやっています。それが今の私のサッカーです。

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