ソルプレッササッカースクール

 埼玉県の浦和・芝原少年団出身で、1994年に大宮東高校から浦和レッズに入団し、大宮アルディージャ、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でもドリブルを武器に活躍した桜井直人氏。現在は、ドリブル特化型スクール『ソルプレッサ・サッカースクール』を自ら指導し運営している。そんな桜井直人氏にお話を伺った。

ーー浦和入団までの経緯、Jリーグでの思い出を教えてください。

 高3の時に国体には選ばれていましたが、1度も全国大会に出場することもなく、Jからのオファーなどはありませんでした。高校の監督が浦和レッズに推薦してくれ、練習参加が認められました。レッズのサテライトへの3日間の練習参加でした。兎に角、自分の良さを出そうと思い、ドリブルはある程度通用した感覚でしたが、手応えと言えるほどのものではありませんでした。なので、合格するとも思っていませんでしたし、合格通知が来るまでの3週間、大学に進学してサッカーを続けることも考えていました。合格と言われた時は、本当に嬉しかったので即決しました。
 ダメ元で練習参加して、せめて自分の良さだけでも見てもらおうと考えていたので、受かると思っていなかったですね。練習生としての契約でしたし、練習もサテライトの中で、当時は荒川の河川敷での練習でしたし、練習内容や環境面も含めてハードでした。皆全国出場歴のあるような選手ばかりでしたし、身体つきも違いました。プロとの違いを感じましたね。いっぱい走ったりもしました。

 最初の1年は膝を怪我して手術した事もあり、全然手応えはなく、危機感ばかりでした。ただ、高校に入った時と同じで、常に絶対に試合に出てやる、トップに上がってやるという気持ちだけは持ち続けていました。最初の2年位は手ごたえはなく、気持ちだけでやってました。

 Jリーグでの良い思い出はいくつかあります。2004年に東京ヴェルディで天皇杯優勝が決まった時は嬉しかったです。決勝は怪我もあり出場できませんでしたが、それまでは貢献していましたし、本当に嬉しかったです。優勝したのはこの時がサッカー人生初だったかもしれないですね。
 また、大宮アルディージャに移籍を決めた2005年の開幕戦、アウェーのガンバ大阪相手に点を取って勝ったのも印象に残っています。元々ヴェルディが好きだったので、葛藤もある中での移籍でしたし、大宮アルディージャはJ2から昇格したばっかりで降格候補と言われていました。そういった前評判の中、優勝候補と言われるガンバ大阪相手に勝てたのは気持ち良かったです。
 後はやっぱり、浦和レッズに入団が決まった時もすごく嬉しかったですね。小学生の卒業アルバムにもサッカー選手になりたいという夢を書いたのですが、夢を叶える瞬間というのは別格です。

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