南葛SCのFW岡田翔平

 中学1年でFC東京U-15に加入した時は「チームで一番下手」だった。それでも高校3年最後の大会Jユースカップ決勝で2ゴールを挙げて優勝の立役者となった。

 FW岡田翔平には逆境をはねのける精神力があった。鬼気迫るようなゴールへの推進力、積極的なチェイシングなど、いつも全力プレーが光るストライカー。そのスタイルは学生時代から変わらない。反骨精神あふれる中高時代を振り返ってもらった。

――まずFC東京U-15に加入した経緯を教えてください。

 長島裕明さん(当時FC東京U-15監督)に「セレクションを受けてみないか」と声をかけてもらったのが1番です。当時はFC東京の他に東京ヴェルディと川崎フロンターレの3チームのセレクションを受けて、実家の新百合ヶ丘からは一番遠かったのがFC東京でしたが、トップチームがJ1にいたこともあって選びました。

 実は当時フロンターレのU-13のコーチだったのが今南葛SCの森一哉監督で、そして森さんと一緒にセレクションで面接官をしていたのが、当時フロンターレのU-15監督でプロになってから湘南でお世話になった曺(貴裁)さんだったんです。ただフロンターレには合格をいただいたのに入団を断る形になってしまったので、お二人に久しぶりにお会いした時は、実は気まずさがあったんです(笑)。

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