FC東京のアカデミー時代を振り返ってくれた
――そうした反骨精神がプロになっても生きていますか。
それは間違いないですね。正直Jリーグで9年間やれるとは思っていなかったです。全然上手くないから、どうにか生き抜くために、とにかく自分にできることを必死にやるというのは、中学高校時代に身についたのかもしれません。
――では逆に、学生時代から今、変わったことは?
いや、変わっていないんじゃないですかね。この前も点を取った時に、中1の時のコーチから電話がかかってきて、「お前変わっていないな」って言われるくらいですから(笑)。
――高校時代を振り返って一番思い出されるのは?
やっぱり高3のJユースカップ。その数か月前のクラブユース選手権では退場して迷惑をかけたぶん、なんとかチームに貢献したいと思っていて。決勝で2点取って優勝できたのは本当に良かったなと。
ちなみにその決勝の相手がレイソルで、工藤(壮人)、輪湖(直樹)、茨田(陽生)、酒井宏樹、武富(孝介)、仙石(廉)、指宿(洋史)がいた世代。そして監督をやっていたのが今南葛SCのアカデミーダイレクターをしている芳賀(敦)さんだったんですよ。今年久しぶりにお会いできて嬉しかったですね。
――当時のレイソルは黄金世代とも呼ばれていました。気負いはなかったですか?
そうですね。最後だから思い切ってやろうと。僕は緊張しいなのですが、その時はとにかく楽しんでやれたのが良い結果につながったのかなと。