九州産業大学サッカー部・濵吉正則監督(写真提供=九州産業大学サッカー部)
九州大学サッカー界の強豪、九州産業大学サッカー部。チームを率いるのはヨーロッパのトップチームでも監督に就任可能な「UEFAプロ」を取得、日本人としては初めてのヨーロッパ・プロリーグの監督を務めた濵吉正則監督だ。ヨーロッパのトップチームでサッカーを学び、Jリーグでもトップチームからアカデミーまで指導経験豊富な濵吉監督に、ターニングポイントとなったゲームや印象に残っている選手などについて話をうかがった。
――濵吉監督の中で指導者としてのターニングポイントとなったゲームなどはありますでしょうか?
1試合1試合の積み重ねなので、「この試合」というものは無いんですけれども、1999年に日本に帰ってきて最初に外部コーチで指導したのが常葉橘でした。今では強豪校なんですけれども当時は県大会にも出場できなかったくらいのチームだったんです。「自分の指導が日本でうまくいくのかな」、などと考えたこともあったんですけれども、そこでチームを指導して、10年ぶりくらいに2次リーグに出場することができ、いわゆる強豪校を相手にいいゲームをすることができました。そこで自分の指導に対して自信が持てたというのはありますね。
その後柏レイソルU-18の監督につながった部分でもあり、2000年のクラブユース選手権では優勝はできなかったんですけれども3位になることがでいました。
大宮アルディージャでは21戦無敗という当時のJリーグ記録を打ち立てた時にベルデニック監督の通訳として関わっていたんですけれども、「こうやったらチームが勝っていくんだな」というのを感じることができましたし、その後勝てない時期があったんですけれども、逆にそこも「こうなるとなかなか勝つのは難しいんだな」ということを学ばせてもらいました。
オーストリアのSVホルンで監督になって3部優勝した時は、2節残して昇格が決まっていたんですけど、日本人の監督として批判もあった中で、それをはね返して認めさせるためには優勝するしかないなと考えていました。優勝すればみんな喜ぶし、笑顔になるんですよね。そういう経験ができたのも大きかったと思います。
SVホルンには今日本代表のGKをやっている権田修一(清水エスパルス)もプレーしていたんですけれども、昇格した2部の前期最終戦、権田がSVホルンでの最後の試合というのも印象に残っていますね。相手がSCアウストリア・ルステナウという首位を走るチームだったんですけれども、3-2で勝ったゲームです。やはりなんとか勝って送り出してあげたいなと思っていたんですけどその日はすごく寒くて、一度ロッカールームに入ってグラウンドに戻ってきたら、ピッチが凍っていて(笑)。ボールも滑るし難しいゲームになるなと思っていたんですけど、逆転ゴールを決めたのも新井瑞希(東京ヴェルディ)だったり、何かと印象に残るゲームでしたね。ヨーロッパのプロの舞台で、こういうゲームができたというのは自分にとっても自信になった部分はありましたね。