
古市元喜コーチ
トップ下やボランチを担当したが、主力にはなれなかった。それでも「高いレベルは刺激になったし、プレスが早いので止める・蹴るといった技術面を意識してプレーするようになりました」と述懐する。
Jリーグの舞台を夢見たがかなわず、卒業後は教員ではなく営業職の会社員になる。仕事は楽しく日本経済新聞を読む習慣もついた頃、塩生から連絡が入った。教員になることを進言されるとともに、埼玉県教員サッカークラブ(現・さいたまサッカークラブ)に加入することを提案された。1999年から2010年まで古市は教員クラブのエースFWとして活躍し、天皇杯には埼玉県代表として5度出場。JFL昇格を懸けた10年の全国地域リーグ決勝大会(現・全国地域チャンピオンズリーグ)をもって引退し、指導に専念することにした。
1年ほどで会社をやめ、埼玉県公立学校教員採用選考試験を受けたが不合格。臨時的任用教員として岩槻、幸手商、春日部定時制に1年ずつ勤務した。3度目の挑戦で採用試験をクリアし、03年に大井へ赴任する。95年と00年に全国高校選手権予選で8強入りした中堅校だ。体育科があり、運動能力の高い選手がそろっていた。
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▽第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選
第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選

