19年に浦和北へ転勤し5年間の奉職。指導というものをさらに追究したくなり、日本サッカー協会の指導者講習会に参加し、B級に続いてA級ジェネラルも22年に取得する。4年目の全国高校選手権予選2回戦で市立浦和を倒したが、3回戦では立教新座に0-3で完敗した。「ここが自分の限界なのかな、って珍しく気落ちしちゃって。自分の中で線を引いちゃったんですね」と難しそうな顔付きでこう言った。

 内野は22年に関東一(東京)から15歳年上の仲村浩信をコーチに招き、2年後には同級生の古市に声を掛けた。ふじみ野にいた頃から、いつかは強豪私立でやりたいと抱いていた夢が実現する。

 「たくさんの指導者がいる中で誘ってもらえたのだから、これほど幸せなことはない。いくら給料が高くても立派な施設が整っていても、全国大会に出場できる確率が低い高校なら行きませんでした」

 内野は招請した理由について「サッカー観が一緒で情熱を持っているから。指導力があり、高みを目指そうとする気持ちがものすごく強い」と熱弁した。体育教官室ではふたりのサッカー放談が尽きないという。

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▽第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選
第104回全国高校サッカー選手権埼玉予選