「プロサッカー選手になる」という子どもの時の憧れから始まったサッカー人生。完全プロではないけれど、職業としての「サッカー選手」も経験しました。そして相模原での1年間が、サッカーに対する考えに次のような変化をもたらしました。
選手にとって重要なことは、プレーする国やカテゴリー、レベルの高い低いとかよりも別にあるという事。それらの条件以上に、どれだけ活躍して、どれだけ評価されるか、どれだけチームに必要とされるかが、選手にとって一番重要な事ではないかと考えるようになりました。
もう少し言うと、チームは選手の価値を評価します。サッカーが職業=仕事となれば、評価の尺度としてお金を用います。その結果として、評価(価値)の高い選手ほど、高い金額をチームから提示されるのです。
だから、サッカーを生業とするプロ選手ならば、高い評価=高い金額を獲得しなければならない。
その結果、どれだけ稼ぐことが出来るのか。それらがサッカー選手としての価値ではないかと、強く思うようになりました。
勿論それ自体が目的やモチベーションの全てではありませんし、このような内容をこのサイトで書くことは色々なご意見やご指摘が出るかもしれません。しかし、スポーツで生活していくというのは相当にシビアです。夢だけではなく、現実に向き合わなければいけないことが本当にたくさんあります。その点についてはリアルを伝えたいという僕の趣旨の下、ご理解頂きたいと思っております。
そうした背景もあり、東南アジアサッカーが注目され始めた矢先、JFL時代に同じチームでプレーした選手がタイでプレーしていたので、色々と話を聞きました。その一方で、日本国内でプレーする可能性も頭の片隅には置きつつ、年末年始は仲間内で自主トレを実施。その後、知り合いを介してタイリーグトライアルの話を聞き、2012年の2月にタイに渡航しました。この年にタイ(2月)、インド(4月と11月)、年を明けてミャンマー(1月)にトライアルに行くことになります。
タイでは1か月間で数チームに練習参加しましたが、最終的に契約には至りませんでした。現地でやりとりをして頂いた方を通してトライアルに行けるチームはその時点では見当たらなかったので一度日本へ帰国。その後4月にインドへ1か月間トライアルへ。一度タイに行った分、現地に着いてから練習参加までの流れやアジア特有の時間の流れ、言語など色々な面で免疫は出来ていました。契約出来そうか出来なさそうかの感触も分かってきましたが、結果はまたも契約には至らず帰国。
このインドで1度目のトライアルはシーズン終了間際に行ったのですが、一番手応えがあったチームは来季監督が変わるからと話が白紙に。ビザの関係で結果を聞く前に帰国してしまっていたので、現地にいる間に自らもっとコミュニケーションを取って話を進める事が出来たら状況は違っていたかも、と色々後になって考える事はありました。しかし、そこは自分が関与しているところではないし、終わってからの「たられば」はいくらでも言える事です。その場その場で目まぐるしく変わる状況に即断即決しないといけない場で、とにかく反応を早くする事の大切さは海外トライアウトの中で学んだことでもあります。
11月に再びインドに行った時は地方の選抜大会に参加し、その後1部リーグのチームに練習参加するも、結果はまたも滞在中にははっきりせず、ビザの関係で一時帰国。結果は今までと同様のものに。この時はプレーヤーとしてコンディションを維持することの難しさを嫌というほど痛感しました。練習をしても試合をしても、体のコンディションがほとんど良くならなかったのです。
1シーズンどのチームにも所属しない状況では、毎日の練習と試合のサイクルを全くこなせていません。この1年間は大学への練習参加、知り合いのトレーナーの方にメニューを教えて貰ってジムでトレーニング、ある時は友人に手伝って貰って公園でトレーニングをすることもありました。所属チームがあるということ、練習出来る環境があること、今まで当たり前にあった環境の重要性を知ることが出来たのもこの時です。
そして、その時既に12月。海外でプレーすると決めてから1年が経とうとしていました。