開成高校の練習風景(写真=多田哲平)
――赴任当初、サッカー部の状況はどうでしたか?
当時から開成は進学校でしたが、そのなかでもサッカー部はやんちゃな子ばかりでした。正直学業の成績もあまり良くなく、勉強に消極的な子や部活の時間になってもグラウンドに姿を見せず外で遊びまわっている子もいて。校内で何か問題が起きると、たいていサッカー部員のせいで、私も「指導が行き届かなくてすみません」と何度も謝っていました。
――サッカーのレベルは?
中学校で言えば、選手たちは「『開虫』がボールを蹴っているよ」とからかわれていたんです。いわゆる虫けらのように扱われていたんですね。中学も高校もそのくらい弱かった。だから練習試合を申し込んでも、断られることが多かったんです。「カイセイ? 三重のですか? 長崎のですか?」と。夏休みなんか100本くらい電話をして、ようやく組んでもらうような状況で。
――あまり知られていなかったのですか?
勉強のほうでは毎年東大合格者を何人も出していたので有名でしたけど、スポーツのイメージはなかったんでしょうね。でも私が就任して2年目くらいで地区で優勝するようになり、その子たちが進級していき高校も都大会に出られるようになりました。私自身も都の役員を務めさせていただくようになって、そのくらいからですね、「開成は勉強だけじゃないみたいだぞ」と認知してもらえるようになったのは。それから練習試合も組んでもらえるようになりましたね。
――やんちゃな子ばかりだった部活をどう変えたのでしょうか。
生徒たちは学校に学びに来ているわけで、サッカーだけをしに来ているわけではない。なので、まず勉強の面で意識を変えさせました。試験における校内平均と部内平均の成績を洗い出し、一定の基準に達しない者はレギュラーであっても部活をやらせなかったんです。どれだけ上手いレギュラーであっても。もちろん部活に出られない子には「頑張れよ、待っているからな」とフォローをしながら。彼らはなんだかんだ言ってもサッカーが好きで部活に入っているわけですから、その好きなことをやるために勉強を頑張ってくれました。それで、そのうち校内の成績上位者をサッカー部が占めるようになり、競技力も上がってきたんです。