開成を率いる池谷勝之監督(写真=多田哲平)

 勉強とサッカーの両立をテーマにしたインタビュー特集「文蹴両道」がスタート。

 記念すべき第1弾で訪ねたのは、全国ナンバーワンの進学校、開成だ。東大合格者数は1982年から41年連続全国1位という輝かしい進学実績を誇る、中高一貫の超名門。そのサッカー部は、いかにして勉学とスポーツを両立しているのか。

 秘密を探るべく、顧問を務める池谷勝之監督に話を訊いた。全4回に分けたインタビューの第1回で話してくれたのは、やんちゃな子が多かったサッカー部を「学校を変える集団」へと更生させた方法だ。

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――まずは監督の経歴を教えてください。

 生まれは1964年、出身は静岡県藤枝市です。藤枝市はサッカーどころとあって、私もサッカーを小学校の時にスポーツ少年団でかじったことはありますが、昔は野球をメインでやっていました。あと、運動神経は良いほうだったので、バスケットボールや陸上もやっていましたね。中学から高校までは野球にのめり込んで、大学では体育教師になりたかったので、経験の少なかったスポーツとして器械体操を部活に入ってやっていました。それから大学卒業後に開成中学校・高等学校に採用されて、サッカー部の顧問になりました。

――なぜ野球部でなくサッカー部の顧問に?

 当時、開成の野球部の練習は週に1回で、サッカー部は週に3日だったんです。採用条件として「野球部顧問またはサッカー部顧問」とあったのですが、指導するなら練習は多いほうがいいなと。

――数ある学校のなかで開成を選んだのはなぜだったのですか?

 縁、ですね。開成を受ける前に実は静岡の学校に採用が決まっていたんです。野球の名門校に。でも12月21日だったかな、その頃に大学で開成の教員募集のアナウンスがありまして。地元に帰るのも悪くないかなと考えていたのですが、できれば東京に残りたいという想いもあり、受けてみるかと。そしたら、あれよあれよと選考を通過していきまして。確か大学の内部選考の倍率は90倍くらいだったと思います。

 最終面接では、私を含め4人全員が同じゼミ生で、他の3人は素晴らしい資格や輝かしい競技実績を残してきた人たち。それに比べて私が持っていたのは、普通自動車と自動二輪の免許、スキーの3級、柔道の黒帯、あとはサッカーの審判の資格くらいで。アピールはしたもののこれは難しいなと思い田舎に帰るつもりでいたら、3月に学校に呼ばれて「採用します」と。驚きましたね。それが今から35年前です。

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