快くインタビューに応じてくれた(写真=多田哲平)

――浦安SCで3年間プレーしたのち、2016年4月から武蔵の先生になるきっかけはなんだったのでしょうか?

 私の筑波大の同期に三上昴というやつがいて。簡単に言うと、彼がきっかけです。昴は武蔵のサッカー部出身でして、「武蔵で体育科の公募が出てるから、受けてみたら?」と私に話を持ってきてくれたんです。

――その話を聞いてすぐに受けようと決めたのですか?

 いえ、実は一度断っているんです。私は当時29歳で、まだ体が動いたし、現役へのこだわりは強かった。そして、なによりプロへの夢を諦めていませんでした。でも、一方でセカンドキャリアについても考え始めていた時期ではあったので、本当にこの決断で良いのかという迷いもありました。そこで私の高校時代の恩師である中田(康人)先生(現・東京都サッカー協会技術委員長)に相談したところ、「お前の人生だから最後に決めるのはお前自身だが、こういうチャンスは滅多にあるものじゃない。一度じっくり考えてみろ」とアドバイスを受けたんです。

 それまでは「何事もなるようになる」と思って生きてきた能天気な人間だった私でしたが、その時に腰を据えて将来を考えてみたんですね。大人になっても助言をしてくれる人がいるのはありがたいことですよね。それで考えた結果、ちょうど子どもが生まれるタイミングということも重なり、「ここが良い転機なのかな」と思い、期限ギリギリで応募して採用していただいたんです。応募すると決めてからは吹っ切れて、現役最後のシーズンを余計なことを考えずに楽しめましたね。

――覚悟のいる決断ですね。

 現役を続けていたらまた違っていたかもしれませんけど、後悔はしていません。年齢的な問題など現実的に考えたら、なかなか難しかったし、今はこの決断は間違っていなかったと思っています。

――巡り合わせで教員になられたわけですね。

 本当にいろんな人に助けられて生きているなと実感します。今思えば、自分はなんて幸運だったのだろうと。教員になりたくてもなれない人は少なくないし、ずっと非常勤講師をやっている人もいるなかで、素晴らしい出会いのおかげで教職に就けた自分がしっかり頑張らないといけないなという想いでやっています。

第2回に続く

(文・写真=多田哲平)