――紆余曲折を経て教員の道に進んだわけですが、いざなってみて、どうでしたか?

 筑波大時代に教員免許を取ったのは、当然将来的に教師になる道を少なからず考えていたからですが、いざなるまでは、自分が人に何かを教えるという具体的なイメージはしていませんでした。なにせプレーヤーとしての生活が長かったので。教師になったばかりの頃は、本当に日々勉強でした。大西(正幸)先生にすごく色々なことを教えてもらいましたし、サッカー部を指導するとなっても、大西先生が残してくれものがあったのは本当にありがたかったですね。

――大西先生が率いてきたサッカー部には、すでにベースがあったと。

 大西先生はサッカー部をいちから作り上げて、40年以上いろんな試行錯誤をして、武蔵ならではの形を築き上げてくれました。私はその長年積み上げてきたものの上に乗せてもらっているだけで、まだまだ自分が何かをしている感覚はないんです。本当に自分の力が試されるのはこれからです。

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