©拓殖大学麗澤会体育局サッカー部

ーー指導者を目指したきっかけを教えていただけますでしょうか?

 小さな頃からスポーツが好きだったのと、学校が好きだったということもあって、教員になること以外考えていなかったんですよね。教員の中でも、高校の体育教師になりたいと思っていましたので、筑波大学に進学したんです。先ほどもお話ししましたが、大学院に進学して埼玉県教員サッカークラブでプレーしながら勉強もして、埼玉県の教員試験を受けて合格しまして、埼玉県立大宮高校に赴任して教員をやっていました。そして私がちょうど30歳の時に、拓殖大学がサッカーを専門とする体育教員を探しているということで、筑波大学を経由して私にその話が来たんです。

 当時私は教員として大宮高校に6年在籍していたんですけど、高校の教員というのは基本的に1つの高校に長い期間在籍できないので、そろそろ別の高校にという話も出ていたところだったので、拓殖大学からのお話を、ありがたくお引き受けすることにしました。大宮高校でサッカーを教えていたのですが、多くの大会で良い成績を残すこともできたので、サッカー指導者のおもしろさも感じていた所だったんです。

 拓殖大学でサッカー部の指導をするようになったのは、奉職して6年ほど経ってからで、37歳で監督になりました。監督になった当時、拓殖大学は東京都リーグの1部で戦っていたんですね。2004年に関東大学リーグ2部にやっと昇格することができたんです。そこからは東京都リーグに降格することなく関東大学サッカーリーグで戦っていますね。昨シーズンは2部で2位になり、今シーズンは11年ぶりに関東大学サッカーリーグ1部という舞台で戦うことになりました。非常に楽しみです。

 次回は11年ぶりの1部リーグ復帰を決めた昨シーズンについての話を紹介する。

(取材=高校サッカードットコム編集部)